庭師として初めて泣いた仕事
第一章
「ごめんね…ほんとごめん…」
あの日、私はノコギリで赤松を切りながら謝っていた。
自衛隊を辞めて、庭師として4年目くらいの26歳、季節は4月だった。
通常、樹木の施肥は顆粒の肥料を3月ごろに与えて新芽を促します。
しかし、赤松、この子だけは特別なんだよね。
3月の中旬に日本酒を飲ませてあげる。
これ、冗談じゃなくてほんとの話。
私も親方に教えてもらうまで、そんな事を聞いた事もなかったし、冗談かな。と思ってだけど、ほんとなんよ。
大きな赤松ともなると、一升瓶の日本酒を丸々一本、一気飲み!
日本酒を飲ませてる赤松と、飲んでない赤松は全く違う樹木になるほど、効果は抜群だ!
あの日、私は庭師として4年目。
まぁ仕事にも慣れてきて、自信に満ち溢れてたよね、はっきり言って。
すでに
俺が1番、剪定が上手いな
親方よりも俺の方が早くて丁寧な仕事ができる
それほどの自信と自惚れを持っていた。
実際に親方も少しずつ認めてきて、現場も1人で任せてくれるようになり、私自身もやる気に満ち溢れていた。
そして、その日は来た
職人である私達は朝、必ず湯呑みで、お茶を一杯飲んでから現場に行く。
「難逃れ」という昔からの伝統である
本日も怪我なく、頑張ろう。
という意味が込められている。
その際、親方が一言。
今日のお寺の赤松、1人で切って来い。
あの言葉は鮮明に覚えてる。
めちゃくちゃ嬉しかった…
松の手入れを1人で行って来い。
認められた気がした。
はい、と一言。
当時の私はスカして返事をしたが、内心は心を躍らせ、テンション爆上げだったな。
早々に、お茶を飲み干し、トラックのエンジンを付け、現場に向かった。
お寺に付き、住職に挨拶をする。
「あれ、今日は1人かい?」
そんな何気ない会話ですら、私には最上級の褒め言葉となった
第二章
樹齢50年は超える赤松。下にはお花や砂利、灯籠など大切なものがたくさんある。
分かってるよ。
いつも来てる。
ここに来るのは4年目。
シートなどで貴重な灯籠などを壊さないようにしっかり養生をする。
この松はほんと大きい。
親方でも1日では終わらない。
2連梯子を伸ばし、ロープで転倒防止を行い、天端(頂上という意味)に向かう。
その時に香る、日本酒の匂い。
あぁ、住職さんは今年もしっかりと日本酒をあげてくれたんだな。
ありがとうございます!
一升瓶の日本酒を飲んだ赤松は新芽のこの時期、日本酒の香りをさせながら、新芽を出す。
まぁ匂う。匂う。
木登りしてるだけで、酔っ払うほどに日本酒の香りがする。
正気を保ちながら、ひと枝、1枝と丁寧に剪定をして行く。
親方や先輩に怒られながらも、この仕事が好きだから。
何回も聞いた。
休憩時間や昼休みは誰よりも早くおにぎりを食べて、何度も何度も親方が剪定した場所を見て
なるほど、ここをこう切るのか。
この枝を残すのか。
ここの切り口が太いって事は入れ換え剪定をしたんだろう…
親方が剪定した樹木は、少し風が吹くだけで樹木が笑ったように見える。
切り口が見えない。
どこを切ったか分からない。
けど、さっぱりしてる。
まさに親方は神の手を持つ職人だ。
順調に仕事は進み昼休憩🕛
私のお昼は決まって昆布のおにぎりと、シーチキンのおにぎりだ。
昼寝をしてからもうひと頑張り。
この15分の昼寝は欠かせない。
20代の頃からの習慣だ。
今でも欠かせない習慣だから
休日は妻も諦めてる。
午後からの仕事も昼寝のおかげで集中を切らさない。
親方に認めてもらいたい、褒められたい、その一心で鋏を握る。
やはり1日では終わらなかった。
それはそうだ、焦っても仕方がない。
明日で終わらせればいい。
会社に帰って日報を書き
また明日に備える。
明日の夕方には庭師として一皮剥けた職人になるために…
第三章
2日目。
その日は朝からソワソワしていた。
早く現場に行きたい。
早くあの赤松に会いたい。
早く鋏を握りたい。
毎日、仕事終わりには必ず
鋏についたヤニを落とし、油を差して
手入れは怠らない。
朝は必ずお茶を飲んでから。現場に。
おはようございます!
あれ、住職さんが元気がない…
胸騒ぎがした。
嫌な感は大体、当たるもんだよね。
足早に赤松の所へ向かう。
そう、昨日剪定した箇所が…
枯れている
太い枝から、枯れている
完全に私が切りすぎたのだ。
その時、脳裏に浮かんだのは
じいちゃんの言葉…
植木を1番、枯らすのは、気候の変化でも、害虫でもない。
植木屋が1番、植木を枯らす。
そう、私のじいちゃんも庭師だった。
当時から、少し怖くて、あんまり懐く事は無かったけど、かっこいいじいちゃんがよく言ってた…
じいちゃんも大切に育てた庭木を自分の手で枯らしてしまった経験があったのだろう…
そして、深く後悔と反省をしたはずだ
申し訳ない。
自惚れてた。
すみません。
しかし、ここで投げ出すようでは一人前の庭師になどなれない
赤松はまだ生きてる
私は気持ちを切り替えて
慎重かつ丁寧に剪定を施す
そして作業完了。
掃除をしている時はいつも親父の言葉が脳裏に浮かんでくる。
庭師であれば誰でも剪定出来る
こだわりを持て
仕上げの質が庭師の質だと思え
そう、私はじいちゃん、親父と
庭師家系で育った。
重い足取りで会社に帰る。
親方に真実を伝え、ありのままを話す
私は心の中で思った
殴ってくれ、怒鳴ってくれ
自惚れるなって言ってくれ。と
しかし、親方は何も言わなかった
そう、お寺の住職さんも…
それがなにより辛かった。
悔しかった、ただただ悔しくて…
自分の不甲斐さに仕事の事で
初めて泣いた
その日から、今にかけて…
その赤松の剪定はずっと任されている。
少しずつだが、枝数も増えて
元気を取り戻している。
あの2日間を忘れた事はない。
今もあの枯れた枝をノコギリで切り落とした感触は覚えている
初心忘れるべからずだよね。
4月だし、新社会人の季節。
私のこの時期を読んでもらいたいね。
以上!
仕事で失敗した話はいかがでしたか(^^)?
最近では次女(2才)が泣いている時に、私達夫婦よりも長女(4才)が大丈夫?と声を掛け、背中をとんとんしてあげてる姿に泣きました!笑
歳を重ねる事に涙脆くなるよね♪
是非、また遊びに来て下さい(^^)