子どもの頃の話をしようか(月編①)。
占星術でいう年齢域とは。
西洋占星術の好きな考え方で、
人生を各ステージごとにわける『年齢域』という考え方があります。
ホロスコープにおける天体のテーマがそのまま、その年代を生きるときの人生のテーマにもなる、というものです。
なんでも照応しているこの世界、
見ようと思えばいくらでも、自分を客観視できるという素晴らしい仕組み。
ホロスコープの主な天体は10個ありますが、
順番はこんな感じ。
月→水星→金星→太陽→火星→木星→土星→天王星→海王星→冥王星の10階層です。
自分のことを知って頂くにはどうしたらよいかしら?と考えたとき、そうだ、天体に絡めたら、共通の意識を使って、私の拙い日本語でもより深くお伝えできるのではと気がついたのです。
今回は月です。
月は0歳から7歳までを担当します。
脳波がひくく、シータ波で生きていた幼少期に体験したこと。これは、見えないルールとなり、気づきが起こるまでそのひとをずっと縛りつづけます。
これは自分を使った人体実験。
うまく伝わったらお慰み
お暇なとき、読み飛ばしてくださいませ。
私の月は?
8ハウス、天秤座2.65にあり、
3.47度離れた冥王星と合。
サビアンは、天秤座3度、『新しい夜明け、すべてが変わった』。
まんず合になった月と冥王星が、ライジングスター、水瓶座木星とトライン。
他にパートオブフォーチュンと月が60度。
ほっこりでめらめら、拡大発展の強い要素もある愛でたい配置。
しかしそれを補って余りある蠍みときたらどうだい。
合になった月と冥王星が頂点となって、
11室いて座のドラゴンヘッド、
5室でこれまた合になってるドラゴンテイル.土星とTスクエア。
10室カルミネート太陽が蠍座ってだけでも暑苦しいなぁ、ドロドロだなぁと感じるのに、
その蠍座の支配星・冥王星が鎮座しているのもナチュラルハウス8室。
もうしつこいくらいに蠍座。
月と冥王星がこれだけチャートに重低音を響かせているなんて、蠍座風味キツすぎ。
この蠍座みで得をするのは、
相手が嘘をついてるかどうか一発でわかるとか。あとは、生まれ持った直観力が異様に強いとか。
粘り強いとか、なかなか死にそうにないしぶとさやしつこさがあるということくらい。
エヴァンゲリオンでいうところの、綾波を侵食したアルミサエルのような蠍座感覚。
他に例えるとするなら、
好きなひとのものであれば、蒸れた革靴の靴下の匂いだけで丼飯が食べれますよとか。
嘘をつかれていると本能的にわかっても、相手に惚れているのであれば、その嘘ごと飲み込んで一緒に堕ちていく方を選びます。
好きな対象にはアホみたいに惚れ抜いて、その人とひとつになりたいと行けるとこまでいって、自分を変えていく。
これは、娘に対しても同じことを感じるのだと確認済です。
0か100しかしらない星座の恐ろしくも美しいところ、蠍座=冥王星・8ハウスの闇は奥深い。。
でもね、問題はここなのです。
よ〜く見てください。
わたしの月のサインは天秤座!
天秤座は0か100かなんてことは、まっぴらごめんです。
秤は釣り合ってこその秤、
真ん中こそ王道なのです。
常にバランスを取りたい、傾くのであればお付き合いする必要はなし。
支点が己の手によって確保できないのであれば、自分にも相手にも良い影響が出ないことを本能的に知っているという天秤座は、繊細で臆病、お洒落でスマートなサインです。
物心ついた頃から八方美人ではありましたが、それは自分がよく思われたいという理由からではなく、常にその場の水平を守りたかったから。
できることなら、常時水平器を持ち歩きたいくらいのバランスを、こころから欲しているのが天秤座というサインなのです。
私の生きる原動力。
月のドライブは蠍みと天秤座のバランスを取るために、いつも自分という生き物に集中させられてきました。
私ってなに?
生きるってなんだろう?
近くにいてくれるひとたちも、
こんな話を聴いて一緒に考えてくれる方が多かったです。
肩書や地位が高い方たちがばかりでしたが、わたしにとって興味があったのは、
辛いことを乗り越えてきた人柄や、魂の成熟度だったのかも。
ずーっと深いところで、想いのバランスがとれる方たちが、
私の人生をいつも支えてきてくださいました。
生まれたときから死がそばにある感覚。
感情や潜在意識を表す月が、
死と再生担当の冥王星と合。
これは、いつも『死』が隣にあったとも読めます。
実際小さい頃から身体が弱く、救急車に乗ったことも数回あったり。人でないものや、妖怪の類もよく見かけてきました。
生まれてすぐからの記憶もあるのですが、
一番濃い死の匂いは、
わたしの上にいた兄が一週間で亡くなっ
ていることかもしれません。
母はわたしが生まれたときも『死ぬことを深く恐れて』半年も外に出さなかったと聞かせてくれました。
死なないようにとか死ぬかもしれないって、よく思われてたし言われていたな。
母は気になることがあると突き詰める性分でした。
その昔、夢で典型的な臨死体験をしたことがあり、その影響から、当時話題になり始めていた立花隆さんの分厚い本や、登山家のラインハルト・メスナーなどの関連著作を読みあさっては、わたしに教えてくれたのです。
小学校低学年の子供に、自分の臨死体験の話を延々と聞かせます?
えー?ってなりますよね、
わたしでもそう思う。
この夢の話も、最愛の親が死ぬなんて縁起でもないと、最初は聞くのも怖かったものですが、
繰り返し繰り返し聞かされるうちに、こちらも人と人でないものを見分ける力がついてくるという、なんだかよくわからないありがたい効果もありました。
突き詰める性分は私もしっかり受け継いでいるのですが、
母がどれくらいのめり込むのかと言えば、
当時の研究の成果を地元の新潟日報、「わたしの視点」というコラムに、顔写真つきでこの夢の話が掲載されたほどのレベルです。
その道の専門家や大学の先生が寄稿していたコラムでしたが、新潟日報もよく、普通のおばちゃんが書いた臨死体験の記事を載せたものですよね。
母と長女との雛形は、母と祖母との関係にあり、祖母と曾祖母との関係性は…∞
月と冥王星合の人間は母親との癒着が強い場合が多く、その影響から同性との距離感がなかなか掴めないという性質があります。
うちの場合、
これが母方の家系に綿々と受け継がれてきた信念として、かなりキツめに効いていたと思います。
わたしも例外ではなく、物心ついたときから、母の話相手として父との関係や祖母との話、お友達との話などいろんな話を聞かされてきました。
特に、私たちが生まれる前。
婿に入った父が、兄を妊娠していた母を捨て、職場の看護士と同棲していた話などは、結構な回数聞かされて育ったなぁ。
映画になりそうな話でしたけどねや。
母と父が離婚するのは私が11歳の頃ですが、
その頃にはすっかり、母の味方に傾いているわけです。
そうなると、必然的に父親との距離ができ、母親のすることをすべて受け入れる体制が整って、結果的にがっつり一心同体になるという仕組み。
蠍座の0か100かの体質もあいまって
この母との関係性は同性の女性との関係性にも影響し、
また父親との関係性も歪みができ、社会的に成功することへの強烈なアンチテーゼになるわけです。
女性とちょうどよい距離感を体得するのにも、50年の月日がかかったし、
父との関係性の修復にも同じくらいの年月がかかりました。
いまは、父も母も大好きですし、
とても感謝をしています。
もがきながら生きてきた背中を、一人のひととして肯定できていますが、
当時の胸がちぎれるような気持ちっていうのは、天秤のバランスなのか蠍の悲鳴なのか。
夜中に帰ってくるタクシー運転手の父が、
小さな声で毎晩母と言い争っていたこと。
母もよく付き合ってましたよね。
心のなかでは世界一愛されている子供として安心しきっていたかったのに、
その光景を覗くたびに、つらい気持ちになりました。
お母さんをいじめるな!という気持ちと、
弟妹の存在も含めて、この世に自分の居場所がないような気がしてしんどかったな。
4人姉妹の長女だった母は、
負けん気だけで生きてきた祖母の分身(もしくは奴隷)のように、家のなかのことをすべて引き受けて育ちました。
母のなかでも、長女である私のポジションは幼い頃の母と同じで、ある意味時分の「好きにしていい」人間であり、親の言うことを聞かないとか、反論をするという意味が、母にとってはよくわからなかったのかもしれません。
まぁ社会に出てからはあんまりゆうこと聞きませんでしたけど笑。
「お父さんはお姉ちゃんだからっていうな、そういう育て方はするなっていうんだけど、私はそうじゃないと思うのよね」
これも何万回となく、母から聞かされてきた言葉です。
母の育ち方を考えればそれもまたやむなし。
でも、これって「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」って直接言われるよりも大変で。
自分で選んだていでその役割を負わないと愛されないっていう、
これも50歳にツインと体験するまで気が付かなかった、超絶、根の深いテーマになるわけです。
祖母と曾祖母の関係も、
「この子が男の子だったら」という性別の否定から始まっていますし、
母と祖母の関係も、
「この子が男の子だったら」という性別の否定から始まっていますし、
私と母も、
「この子が男の子(お兄ちゃんの生まれ変わり)だったら」という性別否定から始まるわけで。
男であるだけで大事にされる弟や、
末っ子だから特別扱いし可愛がられる妹がそりゃもう、妬ましかったものですよ。
そんなわたしの0歳から7歳というのは、
蠍座と天秤座の葛藤✕女性性の否定✕田舎の長女という掛け算からはじまったのです。