【鬼】
鬼とは、人間の心に住まうもの。
こいけさんにおんぶに抱っこで、
大好きな鼓童とNoismのコラボレーション、
『鬼』を観てきました。
初回は見逃してしまったこの公演。
再演が決まった夏前から、
ずーっと行く!って心に決めてたんです。
アフタートークで佐和子さんがおっしゃられていましたが、息もできないほどガッチガチになりながら舞台に向き合う観客って、
新潟くらいかもしれませんよね。
どの舞台観に行っても、みなさん楽しむといことよりも、まんず瞬きもせずに見逃すものかと舞台に焦点を合わせている。
そんな舞台の地続き最前列(!)。
『お菊の結婚』ははじまる少し前にエネルギーが変わって、幕の下から足を伝って侵食される感覚を味わいましたよ、
気分は使徒に侵される綾波かと。
海外からきたひとからすれば、
こんなふうにおとぎ話みたいな、そんな世界に見えたことでしょう、日本。
『鬼』は逆に上から押さえつけるエネルギー、のしかかるように低く感じる天井。
舞踊と太鼓のぶつかり合い、
一瞬の火花の連続。
舞台の上には、翻弄されるヒトと、人で無くなりそうなもの。
こんなに美しい鬼なら、食べられちゃってもいい…と思うような、美しいオスとメスの鬼がいました。
モデルになった清音尼は、
実在した熊野比丘尼っていうじゃないですか。
ここで熊野比丘尼出てくるんだーと、ユング心理学研究所出身、夢告堂の今井先生を思い出したりして。
秋田の小坂鉱山跡にいったときも、「あ、娼婦としてここで働いてたことがあるな」と感じたことがあるんですけど、
それより少しだけ古い時代に、
やっぱり鉱山で身体を売ってたタイムラインがあるよなぁって。
相川史料館に行ったときに、
ここじゃないかなーと感じたんですが、あってましたね、きっとヤッてましたね。
その時は、表立ってやってなかったのですよ。なんだろなと思ったら熊野比丘尼ね。
連れてこられた一行のなかにでもいたんでしょうか。口で極楽を説きながら、地獄へと引きずり込む聖娼でしたものね。
鉱山に作られた遊郭。
女からエネルギーを貰わないと生きていけない働けない男たち、逆もまた然り。
人肌の優しさや、
交わりで得られる小さな死と再生。
でも、その一瞬に価値を感じれば感じるほど、得体のしれない欲望は黒く大きく際限なく膨らんでいく。
鬼って誰の心にも住まうもの。
欲に目がくらんで、
眼の前にいてくれるだれかを所有物だと思ったとき。
人として見れなくなったときから堕ちていく、欲しがることを永遠に止められない、
真っ黒い心のあり方。
ちょっともう、
色んなことが脳内で繋がって、
また佐渡行きたくなりました。
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