ただ笑っていてほしかった

永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』と『一人交換日記1・2』を読み返していた。

作者が抱えてきたしんどさが絵で表現されていて、よく読み返している。
特に共感というか、自分に重なる部分があるのは母に関する描写だ。

著者と母の関係性と、私と母の関係性が類似しているわけではない。
なのになぜか母に対する感情に共感できる点がある。
いつだったか著者のブログを読んでいて、「お母さんが笑っていてさえくれればいい」という趣旨の文章を読んで、「ああ確かに」と思った。

私の母は、忙しい人だった。
教員だったから仕事が忙しい上に、父は家事育児をあまりしない人(私から見れば)で、大抵のことは母の仕事だった。

母の母は昭和の主婦を体現したようなスーパー専業主婦だ。
漬物を拵えたり、味噌を手作りしたり、寒天を水から戻して作ったり、山で筍を採ってきたり…。洋裁ができてスーツやスカートを作っていたし、習い事、果ては畑仕事と、お金を稼ぐ以外のことはすべてこなしていた。

そんな人に育てられたからか、母も自分が家事をするのは当然のこととみなしていたのだろう。何かと手作業にこだわる人だった。
今でいうところの「ていねいなくらし」的なものが本当は一番いいのだと信じて疑わず、それをできない自分をどこか責めていたように思う。

私が小学校に上がる時の体育袋・給食袋・お道具袋はミシンで手作りし、4年生に上がる時には新しい生地で作り直してくれた。
その他学用品に付ける名前も全部手書き。ちなみに書道を嗜んでいたからめちゃくちゃ綺麗な字だ。

朝はいつもご飯とみそ汁。高校に上がってからはもちろん毎日手作り弁当。
洗濯物が乾けば畳んで部屋の前に置いてくれる。
服のボタンが取れれば付けてくれたし、セーラー服やブラウスにも毎日アイロンを掛けてくれた。
正月には花を生けて玄関に飾り、毎年のひな祭りには7段はあるひな人形を1人で飾っていた。

でも、別にそんなこと、してくれなくたってよかったんだよな。

学用品なんて店で売っているものも十分にかわいくて丈夫だ。手作り品を使っているのはむしろ少数派だった。
名前なんか読めればいいんだからスタンプで済ませてくれても全然よかった。

レトルトとかお惣菜だって充分おいしい。高校には購買があったんだから、面倒な日はお金をくれるだけでも別によかった。
洗濯物だって乾いたものを自分で取れと言われたらそうした。私が気付くのが遅いなら部屋の前に放り投げてくれればよかった。

ボタン付けやアイロンがけだって家庭科で一通り習っていたから自分でもできたし、なんならボタンはともかくアイロンは必要不可欠じゃない。ブラウスがピシッとしていない同級生なんてたくさんいた。働いているならともかく、中高生はそんなこと全然気にしてない。
花屋さんが生けてくれた花だって充分きれいだし、ひな人形なんてお内裏様とお雛様だけのもので構わない。

そんなことしなくたっていい。
そんなことしなくたっていいから、いらいらしないでほしかった。
あれこれ家事をして疲れ切った顔をされるより、手を抜いて笑っていてくれる方がよっぽどよかった。

なんていうか、母が敢えて自分でやるからそれが当たり前になってしまっていただけで、言ってくれれば私が自分でやったもの、適当でよかったものがたくさんあった。
世間の母親のみなさんからすれば「じゃあ勝手に自分でやりなさいよ」という話かもしれないが、「母親がやるのが当たり前」という殻から1人で抜け出すのは難しい。言ってくれなきゃわからない。

ひどく親不孝なことを言っていると思う。
ここまでいろいろしてもらって、感謝こそすれそんなことしてくれなくたってよかったとは何事だろうか。
しかしそれが本音なんだから仕方ない。

難しいのは、きっと私が今こう言ったって、母は不機嫌になってしまうだろうということ。
「せっかくあんたのためにやったのに」と言うかもしれない。誰も頼んでないんだけどね。
母親世代に刻みこまれた専業主婦幻想の力は凄まじく、自分が楽になることよりも専業主婦幻想を体現しようとすることの方が大切なようである。

母を今更変えようとするよりも、私は私の中にある母親像に囚われないようにする方が大切かもしれない。
私は多分、そこまでなんでもこなせない。
自分に子どもができた時、母親と同じようにできない自分を責めてしまわないようにしたい。
私の子どもに、私と同じ想いをさせないために。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。