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ピアノが弾きたい

タイトルまんまの感情が、ここのところ渦巻いている。

私は5歳になる歳の4月からピアノを始め、中学2年生の冬まで続けた。
トータルで9年数ヵ月だが、キリが悪いので「10年習った」と言うことにしている。

長らくピアノからは離れた生活を送っていたのだが、唐突に、また弾きたくなった。

きっかけは、もう自分でも恥ずかしいくらい単純なのだが、最近読んだ漫画の影響である。
音楽に取り組む高校生を描いた作品で、「音楽って、いいよねえ…‼」という気持ちがむくむくと沸き上がり、気づいたら来年から住む予定の街から通えるピアノ教室を検索していた。

ピアニストを目指していたわけではなかったので、10年も習った割にさほどうまくはならなかった。
確かヤマハのグレードで8級を取り、ツェルニー30番という定番の教本が終わって40番に入ったところで止めた。
ピアノをかじった人ならわかるだろうけど、初級も初級、富士山で言えば準備が済んで一合目に足を踏み入れたところだ。
(しかも、ツェルニーって正式なテンポは相当に速いらしい。速く弾いていた覚えは無いので、終わったと言っても完璧に弾きこなせてはいなかったんだろうな)

また習って何がしたいかと言うと、何か弾きたい曲があるわけでもなく、すごく純粋に「うまくなりたい」と思っている。
楽しむことももちろんだけれど、基礎から丁寧にやり直して、以前の自分のレベルに戻すだけでなくその先まで行きたい。

なんかこう、仕事に役立つとか、そういう打算なしに、とにかく自分の時間として大切にして、「美しい」音を出せるようになりたい。
美しいって何かと言われると難しいけれど、「芯があって優しい音」かなぁと思っている。

よく音楽を扱ったフィクションの中で言われるように、音にはその人の性格や人となりが表れる。
それは習っていた頃からぼんやりと感じていた。

だから「芯があって優しい音」が出せたなら、その時の私は「芯があって優しい人」になれているんじゃないかなぁと思う。

ただ「こういう人になりたい」と思っていても、実際はどうなのかって判断するのは難しい。
ピアノの音を通して、自分が今どれくらい理想の自分に近づけているのかを知りたいというか。

あと、習っていた頃の私と今の私では、決定的に今の私が優っているものがある。
「いろんな経験をして、いろんな感情を知っていること」である。

やっぱり経験豊富な方が、いろんな感情を音に込めることができて、同じ曲を弾いていても全然違うんだよな。
今の私の方が圧倒的に細やかに感情表現できると思う。

表現するためにはまず技術を磨かないといけないので、やっぱり基礎練習からまた始めないといけないけども。
もうそれすら楽しみだ。
地道に積み上げていく感じ、やったらやっただけ返ってくる感じを、また味わいたい。

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ニワオニコ
最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。