死について語るバーvol.5@エデン日暮里レポ。9/22
BGM。
ほんこれでした。振り返ってみたら、大盛況でアタフタした6月エデン本店での死バーを上回るお客様の入り!大感謝!!
問いボードに沿って、駆け足でレポしていきます。
なぜ死について語るバーに来ようと思いましたか?
いつものように「色んな人の死生観を聞いてみたい」「あんまりない機会なので」という声が多かったですが、上のポストにもあるように「看板をみて」という方も!
「全員に関係あるテーマ。年齢に関係なく突然やってくる」と語ってくれたヤコウ店長も後半お客さんとして降臨!曰く「道行く人の1/8くらいは看板に『ナニコレ〜』などと反応していた」そうで、需要の高まりを感じました。エデン日暮里は立地も良いですね!
あなたの死生観は?
一部紹介。
僕は死の話をすると生き生きしてしまう。なんでだろ?なにかに似てるな?と思ったけどアレだ、推し語りだ。死担当として推しの布教をしてるんだわ笑。最近、気付きましたw
これやったらもう死んでもいい!ってことはある?
「子どもが生まれたら自分は主人公じゃなくなるのでは」「子どもが巣立つところを見れたら」「まだ子どもがいるから死ねない」「もう子どももいるしいつでもいい」と遺伝子や子どもに関する話が多かったです。
「いつ死んでもいい」という方も多くて、僕は「まだ」「もっと」と思いがちなのでちゃんとやりきったと言える状態にも憧れるのですが、その中で「青空みてたら、このまま終わったらイイと思う」って話も、あぁステキだなと思いました。
この問いはポジティブな答えを想定してたのですが「そういうのは思いつかない。例えば借金が凄すぎるとかネガティブなことで、もう死んでもいいかな?って思うかも」と話す人もいてウケました。
「口から摂取が出来なくなったら」という方もいて、僕の他にも介護福祉士の方が何人かいらっしゃったので、色んな話すっ飛ばして「あぁ〜この仕事してると『死ねばいいのに』て思うことありますよね〜」と言ったのは言わ言う(言わない方がいいことを言う)だったな〜w、などと脳内反省会もしましたが、ここでありそうな語弊はそのまま置いといて、「言わない方がいいことを言う部屋」という大好きなコミュニティの宣伝リンクを貼っておきます笑(興味のある方は下線部タップしてください。ツリーのさいごにコミュニティリンクあります)
と、この辺まで問いを進めながらも。
冒頭書いたように大盛況、次から次へと初めましてのお客様。一人一人のお話を聞く時間が取れなくなってきて、皆さんもそれぞれ問いボードを囲んで話が弾んでいる状況、あまり進行にこだわらなくてもいいのかなぁ?煙草も吸いたいしなぁ(気付いたら前半タバコ吸ってなかった)と、盛り上がるバーを出たり入ったりしてサボっておりました。
すると、お店スタッフのうたのさんから「リモートで参加したいという方もいらっしゃるのですが!」とあってメチャウケた。言うてこのガヤガヤ聴いてもらってもしゃあないし、時間もそろそろ頃合い。そう思い、進行に復帰。全部の問いを一人一人に聞くことは出来ませんでしたが、さいごにこの問いを全員に飛ばしてみることにしました。
NO 〇〇 NO LIFE に入る言葉は?
ガヤガヤから一転、一人一人の答えを全員が見守っている。
「僕はノーデス ノーライフですね〜」
「あ!おなじだ!」
「私もデスです!」
「ですですwwww」
「ん〜どちらかと言うとダイかなぁ」
まさかのノーデス ノーライフで連帯w
「僕はノーライフ ノーライフで」
「え、なになにどゆこと?」
「命がなきゃ生きられない進次郎構文です」
なるほどw
「ヒューマン」
一同「おおぉ〜〜〜」
「ハウス」
一同「あぁ〜〜」
「怒り」
一同「うんうん〜〜〜」
一人一人の答えにみんなが感嘆をあげる様子。なんだか言葉の打ち上げ花火みたいだなと僕は思った。
「自分らしさ」
「お笑い」
「活字(小説好き)」
「クリエイト」
「ソサエティ」
「居場所」
「イート!みんな食べて幸せになって欲しい!」
「〇〇を1つに決めるのはまだこわい」
リモートのお客さんが
「刺激」
と答える、そのスマホから流れる音声の刺激をみんなが受けているの、面白空間だった。
「ミュージックです」
「僕はライヴ」
みんな、ありがとうね。ございました。
「死バー、3か月に一度くらいのペースにしましょう」雇われバーテンの僕が、主催のまおりさんにそう言うと「それでは季節の節目に。3,6,9,12月で」となって、9月のバーが終わって。
一夜明けたら、秋になっていた。