「家族不適応殺」第9章読書感想文。ネタバレ注意。
9章のページ数は少なめ。
だが今日も夜中になってしまったので、それだけ読んで終わろうと思う。
筆者も「むしゃくしゃした出来事」に納得できていない。
よしよし。
判決前の拘置所へ面会に向かう。
刑が確定すると家族以外は原則会えない。(知らんかった)
この頃になると筆者も取材モードではなく個人として接するようにし、小島もリラックスして世間話するような姿勢をみせたらしい。えらい。
8章で分からなかった「なぜこんな事件が起きたのか」その答え…に近いものが見えた気がする。
筆者にも、にわかーずにも想像力が足りなかった。
にわかーずは小島の「むしゃくしゃしたこと」が「断片的」にしか分からないと言ったが、小島にとってそれは断片ではなく一生、連なって来たものの一つ。
にわかーずがガラスを割った理由もそうだったじゃないか。
小島は「生存権」を奪われていた。それを精神病院に、ホームレスに、刑務所に求めた。
生存権を奪われたという認識は小島の障害にも起因する部分はある。つまり認知の歪みはある。
小島の場合、言葉や行動の表面のみそのまま受け取ってしまい、そしてそれを拭い去れないという特徴がある。
例えば「そんなことしたらコレだよ」と包丁をみせられる。普通ならまさか殺されるとは思わない。しかし小島は違う。そういった認知の歪みの積み重ね。
さぞかし地獄だっただろう。
そういう歪みに家族も「大袈裟なんだよ」「そんなこと言ってない」「嘘をつくな」などとウンザリしてしまうのも仕方ないことだったかも知れない。障害への理解がもう少しでもあれば違ったのだろうか。
これは障害者に限ったことではない。
自分はこう思うから、相手もそう感じるハズだ。
そういった驕りから人は傷つけあってしまう。
身に覚えのありすぎる話。
完全に分かり合うことなど不可能。
分かることなどない。小島のこともこれで理解できたとは思わない。
「完全に分かり合うことなど出来ない」というのは絶望であると同時に希望でありたい。
少しでも君のことを分かろう、そして私のことも分かってもらおう、少しでもお互いを分かり合おう。
今見ているその人のことを少しでも知ろう。(無理なら距離を取ろう。)それがこの本から学ぶ、我々がやるべき生き方なのではないだろうか?
そうですよね?筆者さん。暴言の数々、大変申し訳ございませんでした。お詫びし、訂正、致しません。
物語は判決へ。
無期懲役、万歳三唱。
虚無。誰も救われない。小島さえも。
刑務所に入った後も手紙のやり取りは続いた。
読み取れたことは、家族との歪みは解消されるはずもないこと、家族もまったく分からないままでいること………。
残り、2章。今日はここまで。