庭ぐらしダイアリー 満月の日
今日は満月ですね。皆既月食andスーパームーンらしいです。
母曰く、爆速で願いが叶うらしいです。(わたしがサイトを調べても、そんな記述はなかったけど、なんかいいなと思ったので信じることにします)なんとなく浄化の時だなあ、なんてことは思いました。いろんなことが思い出されて、いろんなことが流れている気がします。朝方に突然苦しい気持ちになって、これを引きずりながら行かねばならんのか、、、と気が滅入りかけましたが、今は何もないニュートラルな気持ちなので、同じ人間でも、1日のうちにいろんな状況があるなあ、いろんな些細なことに影響を受けてるなあと思う今日この頃です。
西加奈子さんの小説「サラバ」の中に、いつ死んでもおかしくなかったのに(精神的な意味で)コンビニのティラミスのおかげで生きたいと思えた、という男の子が出てきます。案外些細なことで人間は生きたいと思えるのであって、それは他の人からしたら、なんでそれ?ってなるけど、そんなもんなのかなって思います。わからない人にはわからないし、逆にめちゃくちゃわかる!って人もいて、それでいいんだなって、それが世界なんだなって思ってしまっています。(そのニッチな部分を理解しあえたら、その人とは即友達になれるでしょう)
相変わらず前置き話が長すぎて、前置きの方が本編になりがち。
★
わたしの今までやりたかったことは、「ダイアローグ(対話)」だったのかなあ。全ての他者との対話。それは人でもあったし、自然物でもありました。
対話は言葉だけの専売特許かと思っていたけれど、案外そうでもなくて、センス(感覚)でもできるものだと個人的には思います。言葉で全て説明しきれるわけではないし、あまり過信しすぎない方がいいなとも経験上感じます。全体から感じ取ることもできる、と頭に入れておけば、いろんな方向で判断できます。
例えば、ズームでずっとものを見ていると、その周りのものが見えなくなることがあります。バラエティ番組でドローンを操縦しているのを見ると、ズームしすぎて周りが見えずに、引っかかって墜落しているのをみました。あんな感じです。時に、少し離れた距離から見て、ああこうなのか、と全体像が見えて、だからこそわかること・考えることもできるのか、と。ズームから少し離れて、いろいろ整理し、その中で見つけたものを手に取ってまた一つの道となる点をうつ。そしてまたそこにフォーカスしていく。少しずつかもしれないけれど、どこか向かうべきところには向かっているんではないか、と思います。
わたしは本を作ることで自分の人生のズームから離れて自分のやってきたことを見つめられました。ある意味一つの区切り的なことでもあります。自分の過去の心の様々へ、今までありがとう、そしてさようなら!という感じです。いろんな思いを感じて、豊かに経験して、自分にありがとう。そして周りの皆さんにも、もちろんありがとう。何か一つでも欠けてたら成立しないくらい、ちゃんと組み合ったからあの時あの時が存在していました。両方があったから、こうやって来れたんだと思います。「君ありゆえに我あり」とはサティシュクマールの本のタイトルですが、両方だと思います。「君ありゆえに我あり、我ありゆえに君あり」がわたしの信条の一つです。
今しばらくは自分自身との対話が続いていましたが、他のキーワードが出てきたり、もう少し専門的に学ぶ段階に来ているような気がします。学術的な意味と、実践的な意味の両方において、自分でやってくしかないんだ、というところに来ているんだと思います。強く切り開いていくのではなく、ふとやってきた風に乗ろうと思います。
具体的な形がなんとなく頭に浮かび始めていて、あと一歩な感じです。もう少し熟成させて、実現させる機を待とうと思います。できる限り範囲の点を打ち続けながら。
皆さんも、せっかくなので自分のやりたいことを考えてみてはいかがでしょうか。
久しぶりに長く書きすぎました。これにて。