庭ぐらしダイアリー line and dots
不思議なもので、人間はすぐに落ち込んだり、楽しんだり、気持ちの上がり下がりが激しい。昔わたしが落ち込んだ時によくやっていたのは、有名人のインタビュー記事を読むことだった。成功している人も、こんな時期があったのか、と思って自分を慰めていた。当時は、その慰めのためにいろんな人のいろんな体験を読みまくった。
最近は、そこまでのめり込んで読んでいない。
その「成功」というものは、必ずしも「幸せ」に繋がっていない。
そして、その「成功」はその時のものであって、人生は続いているということ。
それに気づいたからかもしれない。
よく結婚がゴールと考えられていた時代を思う。
わたしの周りの同級生は最近結婚して、幸せに生きている。
わたしは最初から結婚に夢見れない人間だったけれど、幸せな結婚もあるものだな、と教えてくれた人たちがいるから、やっとわたしも結婚はネガティブなだけじゃないんだと知ることができた。
結婚は、ゴールというよりは、ある一つの区切りなのだろう。
人生は旅に例えられることが多いが、結婚のみならず、旅にもまたゴールがある。
始まれば、終わり、また次の旅が始まる。
ずっと旅に出ていなくても、始まりと終わりを繰り返しながら、旅は続いていく。
結婚の話はできないから、旅の話をしよう。
旅はいろんなことを教えてくれる。
わたしが大好きな「アルケミスト」という物語の中で、「ジプシーは旅をしているから賢い」みたいな表現が出てくるが、それはきっと旅は「生きること」を教えてくれるからだ。そして小さくとも、大きな気づきという贈り物をくれる。
ここで個人的なささやかで大きな気づきを一つ。
わたしがドイツの旅をした時のことだ。
ベルリンからライプツィヒという街に行くためにチケットを買いに行った。
わたしは基本予算を決めてから旅するのだが、毎回ぴったり使い切るくらいで、逆にいえばギリギリである。
(旅でのお金の使い方の考察は、また別の機会に書くとする)
その列車のチケットは、予算からするとギリギリだった。
でも、思い切ってえいや!と買った。
列車に何とか乗って、ライプツィヒまで着いて、ホテルのベッドに寝転んだ。
すると、ポケットから使い終わった列車のチケットが転がり落ちた。
そのくしゃくしゃになった紙切れをぼんやり眺めてみた。
このチケットは大袈裟に言えば数時間前まで生命線みたいなものだった。
それにもかかわらず、使い終わったこの瞬間にゴミになっている。
このチケットがなければ、この街にこれなかったし、ベルリンで過ごすにもホテルが取れたかどうかも分からない。
ただ、もしこれを使わなかったら、どうなっていただろう?
ちゃんと使って列車に乗り終わった今は?
宝物は、ゴミ箱に放り投げた、そこらのレシートと同じになっていた。
そこで気づいたことは、時間とタイミングが、それを宝物にするかゴミにするかを決めるということ。
先日書いた変化と合わせて考えても興味深い。
全ては変化する。
”Life is tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot”
チャップリンの言葉を思い出す。
ポイントを見るか、ラインを見るかが人生を喜劇か悲劇か決める。
そうそう、点と線の話なら、スティーブ・ジョブスの演説の一部にもあった。
”You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.”
点を打つより前にそれらをつなげることはできない。その点を信じて打ち続けることが自分の人生に繋がっていく。
点と線をジャッジするのは、他の誰でもなく自分である。