恋するカレーパン
街なかを歩きながらカレーパンを食べてる、ってだけで幸せ。人目をはばかるなんて、ノノノン。
すっげえラクで、ただただ自由で、(お店に)新しい音楽を探しにいこうかしらとか、このまま遠出して写真を撮りにいくなんていかがざんしょとかって思ったり。
それにしても、パン屋さんのパンって、ただ食欲を満たすだけではおわらないよな~とかって思ったり、だって翌日、朝に食べたりすると明らかに良い一日を導いてくれるしね、いやはやパン教へと至るレディの気持ちがまたすこし判ったやも。
自分はあまりカレーパンを特別視するタイプではないのだけれど、散歩しながら食すものとして、これはなかなか良いものだ。大きくかぶりつき、カスが少々こぼれ落ちる、ふと振り返ると小鳥たちと目が合う、というハートウォーミングな展開も。
そういうとき、道ばたの光はとても美しい。これはこれは、とワクワクしているうちに小鳥はたいてい飛び去ってしまうのだけど、わるくない一瞬。写真には写らない美しさが~ってやつよ。
って思ったのも、ちょっと前に『たかが黄昏れ』って漫画を読んだせいかもだけど、今は気取ったものよりはベタなものに心を動かされる。
そうじゃなきゃ、カレーパンなんか食べたりしないっしょ。煎り玄米とはちみつを使ったしっとりもちっと生地に蒸した熊本利平栗を混ぜ込んだパン派のじぶんが。
さらにカレーパンがいいのは、なんとなく代名詞になりえるところで、表参道のカレーパンとか、浜田山のカレーパンとか、なんかよくわからないけれど、そう呼称されることでただのパンではないという、上積みされた旨味、そして凄みまで身にまとってしまうことである。
これは多分に、カレーには個性的な味が宿るという、とてもとても説得力のある信仰のせいかもしれないのだが、ここでしか食べれない感が強くなり、購買意欲に駆られる。
そうして、そうかこれが代々木上原のカレーパンなんだと思いながら、自分はがぶがぶと食べている。町を歩く。そうしているうちに、写真に残したい光景を目撃したり、もするのだが、自分はパンを食べているし、まーいーかと思いながら、損をしているような得してるような不思議なことに。
でも、知らない町で、同じようにそんなふうにカレーパンを食べているヒトと目が合ったら、一瞬ドキッとするだろう。それも、スリリングでいいじゃないか。スリリング? クロワッサンもいいけど、たまにはカレーパンを愛でたい日なのでした。