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万物は百合である

 百合って良いですよね。最近私気付きました。万物は百合だなって。皆さんにもこの“気付き”を共有して欲しい。そして百合に救われて下さい。

一般論として、“百合とは”

 百合とは何か。まず一般的な定義で言うと「女性同士の濃い関係性、もしくは濃い感情」です。では百合じゃないものって何でしょう。それが分かれば百合が何かも分かるかも知れません。

「百合=レズ」も、「レズは百合じゃない」も間違い

「百合ってレズのことでしょ?」とか、逆に「レズは百合じゃないでしょ?」みたいなことを言う人がたまにいます。ですが上記の定義を見れば分かる通り、女性の同性愛を百合と呼ぶこともありますし、同性愛でないものを百合と呼ぶこともあります。百合はそれらを包括した広い概念です。

男が挟まると百合じゃない?

 「百合に男が挟まるな」という発言をよく見かけます。私も百合を見て挟まりたいとかいう人には殺意が湧きますが、しかしそれは百合でないと断言するにはまだ早いと思います。たとえば森薫氏の漫画『乙嫁語り』では、一夫多妻制の国において同じ男性の妻となった女性二人の美しい関係性が描かれています。また恋愛漫画では同じ男性を取り合い少女同士が争う展開が良くありますが、同じ男性を好きになるほど価値観の共通した女性達がお互いをライバル視して強く意識し合う様はもはや「女性同士の濃い関係性・濃い感情」なのではないでしょうか。そう、男が挟まる百合もありうるのです。

男同士は百合じゃない?

 男が挟まっても百合になってしまう。では、男同士は百合ではないのでしょうか。「女性同士の濃い関係性・濃い感情」を百合と呼ぶのであれば本来男同士の百合はありえないはずです。BL界隈には「百合BL」などという用語もあり、百合好きを怒らせたりしています。私も「この百合作品面白いよ」と言ってBL本を手渡されたら怒るでしょう。しかし一度怒りを抑え、その表現が正しいかどうかを考えてみましょう。

そもそも「女」「男」って何?

 「女性同士は百合」「女性と男性は百合じゃない」「男性同士も百合じゃない」そう定義すると、その定義に当てはめるためには必ず「性別とは何か」という問題に行き当たります。これは非常に難しい問題です。特に昨今LGBTが脚光を浴びるようになり、性別が自明なものではないと知られるようになりました。女性アスリートが「体付きや体内のホルモンは男性」だとして大会の出場を制限されるような事態も起きています。

https://www.buzzfeed.com/jp/sakimizoroki/sex-testing-olympians-jp

精神的百合

 外見が男性であったとしても、その内面は女性かも知れません。トランスジェンダーの方が人前では男性として生活していることもありますし、また生まれてからずっと男性として生きていた人が後天的に「自分の本来の性別は女なんだ」と自覚することもあります。他人から見て「これ男同士のBLじゃねえか!」と思うようなものでも、その内面が女性であり女性同士で関係性を築いている可能性も否定できないのです。

外見的百合

 しかし、人の内面に着目して性別を定め百合を定義付けすると別の問題が出ます。一時期流行った『DETROIT: BECOME HUMAN』というゲームの中には女性型アンドロイドのカップルが登場し、百合好きを喜ばせました。本来アンドロイドに性別は無いはずですが、見る者には確かに百合の尊さを感じさせたのです。また、最近は「バ美肉おじさん同士の百合」という新しいムーブメントも発生しました。ヘテロセクシャル・シスジェンダーの成人男性同士がVR空間上で美少女の姿を纏い仲睦まじい様子を見せるというものです。人間の内面に着目するのであればそれは百合ではありませんが、しかし外見上は百合でしかなく、本人達も百合を演じることを楽しんでいます。精神的百合も外見的百合も同様に百合としての可能性があると思います。

“不在の百合”概念

 女性の同性愛も百合。友情も百合。男性が挟まっても百合。男性同士でもロボット同士でも百合。では人間もロボットも出てこなければ百合じゃないんじゃないか。当然そう考えますよね。しかし百合概念はここで終わらないんですね。

 宮澤伊織先生の提唱された、「不在の百合」概念。これは、“エモい風景は、それだけで百合”というとても革命的な百合概念の拡張です。これにより、とうとう百合を縛るものは無くなりました。そして私は気付いたのです。

 万物は百合だ、と。

“万物は百合”という、人類の終着点

 思考実験の結果、この世には「明らかに百合であるもの」と「百合かもしれないもの」の二種類しか存在しないことが分かりました。古代ギリシアでは万物の根源(アルケー)を巡り哲学者が議論を重ねていましたが、実は万物は百合だったのです。

 今まで人類は醜い争いを続けてきました。自分の好みで百合の範囲を決め付け、他人の考える百合を貶し否定してきました。しかし私は全ての争いに終止符を打ちたい。

 全ては百合なのです。

 見る者が百合を感じればそれは百合なのです。

 他人の百合を否定せず、自分の感じた百合を尊びましょう。




※この記事はジョークです。真に受けて百合概念を雑に振り回すと多分怒られるのでやめましょう。

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