渋谷パルコへの敬礼(2016年の記事から)
2016年、渋谷パルコがなくなる、というときに書いた私的友人知人に向けたFaceBookの記事の転載です。
文化としてのパルコに育てられた世代。
オマージュとして、熱い思いを文章にせずにはいられなかった…。同じ思いの方がいれば…と思いこちらにも残しておきます。
渋谷パルコがなくなったのは、無くなったのではなく「亡くなった」という気持ちのほうが強い。
つい三日前に近くまで行ったのに、思い出と思い入れが強すぎて会いにはいかなかった。
10歳から東京で暮らした私にとって、渋谷パルコと地元の吉祥寺パルコはまさに、発信基地のようなもの。
特に当時のパルコギャラリーとパルコブックセンター、そして山口はるみさんのイラストに代表されるパルコのポスターは、ひとつの指標のようなものであった。
特に80年代の渋谷パルコギャラリーが力を入れていた写真展は本当に素晴らしかった。
友達のボーイフレンドがアルバイトをしていたのもあって、(無料券をもらえた)足繁く通っていたのだけれど、ここで知ったドウェイン・マイケルス、ベルナール・フォコン、マット・マハリン、ハーブ・リッツなどは本当に刺激的な展示だった。
特にドウェイン・マイケルスが大好きで、今も当時のDMハガキを大切に持っている。ベルナール・フォコンが日本を愛し、自分の人形たちを京都に寄贈したのも、パルコギャラリーでの展示や日本で出版された写真集が愛に溢れたものだったからではないか?と想像したほど。
※今も忘れない、10代の時、ずっと憧れていたアントン・コービンの写真展が開催された時、会場へ向かう角を曲がり、いきなり壁に思いっきりぶつかってひっくり返ってしまい。Are you okay?と黒い壁は手を差し伸べてくれたのだけど、その巨大な壁こそが、190センチ以上あり、長い黒いコートを着ていたアントン・コービンだった。あれもパルコギャラリー。
数年前、bunkamuraやあのパルコの一帯を作ったという方とランチさせていただく機会があった。
「渋谷を大人の街に」というコンセプトのもと、街ごと作っていった貴重なお話をたくさん伺うことができた。
80年代-90年代といえばバブル、バブル崩壊、文化的なことはコンサバやらジュリアナやらが取りざたされることが多いけれど、それとは別にあの時代、確かに「海外の、日本じゃまだ誰も知らない」文化的マイノリティにスポットを当てるムーブメントがあったと思う。その一端を若者への窓口として直接的に担ったのがパルコだった気がする。
そしてそれは、感覚的な「オトナ」を鍛え上げる…今とはある種真逆のベクトルの文化であり、今も本当に「カッコイイ」と思うものだった。
新刊本に混ざって、かの「ペヨトル工房」や「奢覇都館」のための棚が常に充実していたのも、パルコブックセンターだけ。あの「時代とデカダンスの空気のミックス感」を伝えようとする前のめりなオリジナリティ。
のちの「海外のブックセンターやかつての島田洋書のような」パルコブックセンターに変貌した時は正直がっかりした。
そういった意味ではある時期から私の中でのパルコは既に亡くなっていたのかもしれない。
なんにしても、80-90年代のパルコに育てられたパルコチルドレンとして、渋谷方向にビシッと敬礼したい気分であります。
※写真はパルコギャラリーのDM。
ポストに届くだけで、毎回ワクワクした。