こちらの知識不足で話が通じないが、希望を持って生きていく
ネットで調べ物をすることが多くなり、興味を持つことがあったら検索しまくる。
そして「ある程度の知識を得たな」と思って、その事象やジャンルについてそこそこくわしい人と話しても、まったく話が通じないことが、自分にはよくある。
もともと、子供の頃から物事に対して「ディティールにこだわる」ことがほとんどなかった。
ディティールに興味がなかった。自分は生まれつき、「解像度が荒い」状態で物事を観ている。
超合金やソフビについて調べていて、「第1期」、「第2期」という区分があって本当に驚いた。
とにかく私は子供の頃、マンガにしか興味がなかった。アニメについても、そんなにのめり込んだ記憶はない。
マンガでは主人公の頭身がどんどん低くなり、チンチクリンになってしまうことはよくあった。
手塚治虫が「アトムの背を伸ばすと人気がなくなり、背をちっちゃくすると人気があがる」ことを不思議がっていたが、意図的に背を伸ばさせて描きたい、と思っていたのは意外だった。
たとえが古くなるが「ハリスの旋風」の石田国松も、「ド根性ガエル」のひろしも、最初は等身が高かった。「ド根性ガエル」にいたっては、後半は完全にギャグマンガの絵柄になっている。
しかし、マンガにおいて「第何期ひろし」みたいな区分は、少なくとも90年代までにはなかった。
「うる星やつら」のラムちゃんも登場時と最終回ではかなり変わっているが、脳内で補正して、「自分がいちばんお気に入りだった頃の絵柄」で読むのが、自分は習慣になっていたな。
こうした「思い出補正」みたいな話が、他ジャンルではまったく通じないように感じた。
昭和のおもちゃについて「このユルさがいい」というのは実際にはそうなんだが、当時はそれを買っていた子供たちも、脳内で補正してそれらを観ていたことは忘れてはならない。
そして、補正しきれなかったものを「さすがにそれはないな!」と思っていた記憶がある。
まあ、そんな話はだれも聞いてくれず、ロケットの打ち上げがあるというのでみんなそれを見に行ってしまった。
ひとりぼっちで、さようなら!
(得意の孤独オチ)
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