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毒舌の種類について
毒舌にもいろいろ種類がある。
「権威をおちょくる」とか「常識を揺さぶる」とか「みんながふだん言えないことを言ってスッキリさせる」などがメジャーどころだが、
「ただの悪口」というジャンルも存在する。
自分には信じられないが、話芸、文章の芸のジャンルとして厳然と存在する(笑)。
たとえば、昔ながらの鶏ガラから出汁を取ったしょうゆラーメンのみが好きで、現在、百花繚乱ともいえるさまざまなラーメンを全否定する人が、けっこういて、悪口を書きまくっていたりする。
当人はエンタメのつもりらしいのだが、こちとらそんなことを認めた覚えはない(笑)。
20年くらい前には、以下のように書かれたエッセイやブログがたまにあった。
あくまで例として。
「仕事で人と会う前に、食事をしておこうと思い待ち合わせ場所近くのラーメン屋に入ったら『とんこつ醤油』という謎の味で、食べられたものではなかったから残してしまった。昔ながらの懐かしい醤油ラーメンが食べたい」
あるいは、もう少し掘り下げた場合、「鳥ガラの醤油ラーメンやタンメン的な塩ラーメン、素朴なみそラーメン」以降のラーメンを出すラーメン屋(個人的には「新興ラーメン」と呼んでいる)について、その店の外観や内装、店主が白ハチマキに腕組みをしてむずかしそうな顔をしているPR用の写真などから、いわゆる「疑似伝統」のうさん臭さを感じ取る人も少なくないようだ。
つい勢いで「新興ラーメン屋の『伝統』っぽさ」について書いてしまったが、このテキストの本題とは関係ない(笑)。私個人はそのことについてはどうでもいいと思っている。
とにかく「鳥ガラ醤油ラーメン、塩ラーメン、みそラーメン以外はラーメンにあらず、こしゃくにも新しい味付けを考案したラーメン屋ばかりがはびこっているが俺様の口には合わない」というような物言いは、「おれはきらいだからきらいなんだ」と言っているだけで、何も言ったことにはならない。
でもそういうの、普通にあるよね。
で、私はもともとこの種類の「毒舌」、「悪口」がものすごく嫌いなんである。
意味がないから。何も生まないから。そして不快だから。
似たような物言いとして「やっぱりやわらかいプリンより昔の固いプリンの方がおいしい」とか「ふわとろのオムライスより、玉子焼きを固くした昔のオムライスの方がおいしい」とか「すべてのパスタでナポリタンがいちばんうまい」とか「超人戦隊ジェットマン以降の戦隊ものは話が複雑になってぜんぶ面白くない」とか「平成ライダーは話が複雑になってぜんぶ面白くない」とか「ウルトラマンのニュージェネレーションは全部面白くない」とか「ゴジラは一作目以外は認めない」とか「ノーラン版のバットマンはぜんぶ認めない」とか「スター・トレックは第〇話しか認めない」とか「アイドル歌手のリップシンクは許せない」とか「テレビに出てくる芸人はホントの芸人じゃない」とか、まあネットをあさればいくらでも出てくるだろう。
そしてその裏には「何もない」フリをして、当人が語りたい「何か」がある。
そこもかなり卑怯だ。
たとえば「やっぱり固いプリンが好き」というその言葉の裏には、「固いプリン」が当たり前だった、昭和40~50年代頃への郷愁がある。ラーメンの件もまったく同じ。フードコートなんかには、昔ながらの醤油ラーメンがあるからそれを食べればいいのに、入りたくもない店に行ってわざわざ文句を書くのは「新興ラーメンがのさばっている時代」そのものが気に食わないのだろう。
思えば山ほど、他人のどうでもいい、説明してくれるなら良いが、とくに根拠を示すでもない「嫌いなこと」について、さんざん聞かされて来た。
今でも覚えているのは、Jリーグが始まってこれから人気が上昇するだろう、という頃に、
「日本人にはサッカーという競技は合わない」
という書き込みをパソコン通信で読んだことがある。
おい、根拠を示せよ。
釜本もサッカーは合わなかったってか???
そういえば「ミュージカルは日本人には合わない」とか「ロックは日本人には合わない」とか「ラップを日本語に乗せるのは無理」とか、そんなようなこともさんざん聞かされたが、繰り返すが根拠を教えてくれれば耳を傾けるが、何にもないんじゃ、旅行から家に帰ってきて、ソファーに寝っ転がって、
「あーあ、家がいちばんいい!!」
と言っているのと変わらないではないか。
だいたい「何でこんなものが世の中に存在しているのか?」といらつくようなことは、調べていくと、それなりに理由があるものだ。もちろんそれでも気に食わないことは私にだってたくさんあるが、根拠もなしに不満を言うのは、親しい家族とか友人にだけにしてほしい。
なお「おしゃれだから」という理由でディスられる物事もずいぶんある。
かもめんたるの漫才はそれを超えているから、すばらしい。
彼らの漫才のネタで、「CDやDVDのことを『円盤』と言う人が嫌い」という漫才があるが、この漫才は非常に優れている。
それは「DVDのことを『円盤』とか言うやつ(あるいは漫才の中にはレコードを『皿』と言う人の話題も出てくる)」が「おしゃれだから」気に食わない、と言っているわけではないところにある。
「自分は『円盤』って言う人のことを差別しているわけじゃない、嫌悪しているわけじゃない、でもおれの相方としては無理」という理屈で通そうとするのだ。
これは相当、時代の先を言っている漫才だ。
これが「おしゃれだから嫌い」、「おしゃれと思ってやっている人がいるから嫌い」では、まあ普通の漫才だ。
それはそれで成立するのでやめろとは言わないが(とにかく漫才では笑えることがいちばん大事だ)、フリートークの中で言うならともかく「漫才台本」として定着させて何十回もやるのは、個人的にはよほど練らないと、どうかなと思う。
「ケッ、シャレやがって」というようなものは、世の中のいつの時代にもあって、今はSNSがあるから、検索すれば特定のことに関して「しゃれていることが気に食わない」という人の意見はたくさん出てくるはずだ。
もはや「人に自分の意見を発信できる」という特権性から「おしゃれ」を「気取っている」という理由で批判するのは、たいして面白い行為ではなくなっているのだ。
こういうのをこじらせていくと「しゃれてませんよー、というメッセージ自体がしゃれていていけすかない」とか言うようになる。
まあ実際、そういうことはありますよ。「私みたいなおしゃれな人でも庶民的な焼き鳥屋とかにふらりと入ってホッピーなんか飲んじゃったりするんですよー」みたいな。
でもそこまであからさまになると、「そういうヤツ」が目に触れるような環境にいるヤツが悪い。「あえての庶民感」をアピールする「おしゃれなヤツ」というのは頭が狂っているのだから。
第一、「私はおしゃれですけどー」の前提がわからない。オマエは本当におしゃれなのか?
しかし「おしゃれなやつをかっこつけているという理由で批判する」人たちも、「本当におしゃれじゃない」のか、検証する必要はある。
いくら「おしゃれ」が気に食わないと言ったって、そういう人たちだって穴の開いた靴下は恥ずかしいと思うだろうし、パジャマで結婚式会場に言ったりはしないだろう。
むしろ「おれたちは普通に庶民でださくて地べたはいずって生きてます、だからおしゃれなヤツとか港区で遊んでいるやつとかを糾弾しますー」とか言っているやつが本当に「ダメな存在」だったのかを探る方が面白い。
おまえ、高校のときに部活のマネージャーと付き合って少女マンガみたいな青春時代を過ごしたり、三宿(そういうオシャレなところがあるらしいんですよお客さん)の隠れ家的なバーに入り浸っていたりしたらドブの水、飲ませるからな。
おしまい
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