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「あるある」のむずかしさ、「あるある」のむずかしさ

お笑いで言うところの「あるある」に向き合ってみようと、X(ツイッター)でずっと「あるある」的なことを書いたのだが、まったくウケなかった。共感もされなかった。

「あるある」は、友人としゃべっているときも、無意識に言ったりするが、その場で共感を得ないと意味がないため、私の場合「これくらいなら通じるだろう」ということを言いがちだ(もちろん、ふだんからとんでもない角度の「あるある」が言えるわけではない)。

しかし「あるある」に向き合っている人、「あるある」の精度を磨いている人たちはそんなもんじゃない。
「あ、そう言えばそういうことよくあるな!!」というようなことを常に磨き続けているのだ。そしてそれは「置きに行ったあるある」よりもはるかに美しい。

芸人がやる「お笑い」の場合、「あるある」の精度は若干、ユルめになりがちだ。これは「お笑い」が万民にウケないといけないからだ。
パロディの素材として、「桃太郎ネタでかぶった」とか「お笑い養成所では桃太郎は素材にするなと言われている」とか、なんとなく聞いた頃があるが、これは「万民にウケる」ことを前提にしているからだ。
むかしばなしでも「鉢かつぎ姫」を素材にしても、わかる人にしかわからない。私もわからない。

また、「あるある」は特定コミュニティでのみウケる、という要素があるため、単純に「若い世代しかわからないネタ」を私が「すごい精度だ!!」と勘違いしている可能性もある。

あとぜんぜん関係ないが「(フーゾクではない)エロあるあるは自慢話」というのが私の持論である。
「ラブホあるある」とか。ラブホに行けているわけだから。
でもその論理で言ったら「有能弁護士あるある」とか「田園調布あるある」、「ロールスロイスあるある」、「セレブあるある」などはすべて「自慢話」だと言えるだろう。

考えたら、嫉妬心でいてもたってもいられない。

これから上流階級のパーティーに、バキュームカーでつっこんでやる!!!!!

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