寒い、過去の心境の変化などについて
昨日も寒かった。
明日から少し寒さはやわらいでくるらしいが、温かくなっても気候の変動自体が精神をおかしくすることもある。
どっちみち希望はない。
自分は「マンガが好き」と自認していたが、最近まったく読んでいない。
ツイッターに「新田五郎マンガメモ」というハッシュタグを付けて、ちまちまとマンガの短い感想をつけていたが、それをサッパリやらなくなるのが昨年の5月頃からで、今調べて驚いた(今でも、細々と続けてはいる)。
昨年の4月くらいまでは、過去にとりこぼした作品を古本で買ったり、話題作などをそこそこ追いかけていた。
しかしそこら辺で、やる気を喪失してしまった。
その後、2021年の7月頃からずーっと騒がれていた、小山田圭吾の95年段階での「いじめ記事」への「批評」について、その根源が80年代の「面白主義」ではないか、という流れが一部であり、「面白主義」について調べていた。
私がざっと調べた感じでは「面白主義」(「面白主義」という単語自体は使われていなくても、それ的な考え方のこと)は、「露悪的」、「悪趣味」とつながりはあったものの、「面白主義」そのものがイコール「悪趣味」というわけではない。
たとえば多分に「面白主義」的な感じのある「路上観察学」などは、まず露悪的だとか悪趣味だとかとは関係がない。
そこまで調べて、なんだかどうでもよくなってしまった。
そんなわけで、何もやる気がしない、のが「今ココ」である。
行くところに行けば、私好みの楽しい世界があるのかもしれないが、少なくとも私の観測範囲では、それは存在しない。
なんだかマジメな人ばかりになってしまった。
もちろん、ロクでもないやつらやその考えが一掃されてすがすがしい部分もあるのだが、私にとって心地よい「悪ガキ性」みたいなものだけ残しておいてくれ、というのも無理な話のようで、そんなものまですべてどこかに消えてしまった。
ちょっとばかり悪趣味な冗談に、本気で怒る人が増えた。
「まあまあ、カタいこと言うなよ」と返すと、「カタいかどうかが問題ではない、正しくないから正しくないと言ったまでだ」という学級委員みたいな返事が返ってくることが多くなった。
今日はまとまらないのでこれで終わり。
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