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そういえば「自我の肥大化」なんて言葉が80年代終盤にちょっと流行ったな

戦後の、やくたいもない「お説教」の歴史を80年代終盤から90年代初頭くらいまでで観ていくと、

戦前派、戦中派、戦後すぐ、高度経済成長を支えた世代、60年代の「政治の季節」の世代、70年代の「シラケ世代」、「三無主義」と呼ばれた世代、これらに、私こと新田五郎(1967年生まれ)は直接、間接的にいろいろと言われてきた。

どうせ順番に寿命で死んで行くんだからほっとけばいいのだが、それでもムカッとすることはある。
私が学生時代だから80年代終盤から90年代初頭頃は、

・自我の肥大化
・身体性の問題

という二点が「お説教」の文言としてよく使われてきた。

「自我の肥大化」というのは、全共闘世代が自己主張を過激にしまくったことの反動から、80年代後半~90年代前半当時の「保守主義的な人」が「若者のわがまま」をそのように言い換えたのだった。

しかし単に「わがまま」と言えばいいものを、「自我の肥大化」などと、こむずかしい言葉を使用したことの裏には、「集団行動こそが至高」という考え方がある。
世代的には、軍隊経験者、軍隊経験者に指導を受けたその下の世代、体育会系の部活動における教育を「良かった」と思っている人たち。
中には左傾化した人たちの中にも、そもそも革命運動だって集団で動かないとまとまらないので、「自我が肥大しているやつらが言うことを聞かない」的なことを言う人もいたかもしれない。

当時はこのワードについて、何とも思っていなかった。「そのとおりだ」くらいに思っていたが、現在57歳の私にとっては、「クソみたいな物言い」だと思っている。

なぜなら、彼らの言う「自我の肥大化」とは、自分自身の経験が尺度になっているにすぎないからである。

軍隊経験者は軍隊時代を基準にするし、体育会系の部活経験者は部活の経験を基準にする。
言ってしまえば、EXITのかねちーが「女子の体育会系部活OG」を揶揄して(お笑いとして)使う、

「(現役の後輩に対してOGが言う)私たちの世代の方がもっと練習キツかったよーーーーー!!!!!!」

と同じにすぎないのだ。
まったくくだらん。ケッ、という感じである(もちろん、かねちーのギャグは秀逸だ)。

あたりまえだが「なんでもわがままを通せばいい」と言っているのではない。いいですか、私は丁寧に説明しましたよ。

一方で、「身体性の問題」という言い方だが、これはおそらく、全共闘世代か、もっと前の世代のサヨク的な人々が「自分たちがやってきたことは頭でっかちだった」と反省したことから来ている。
「頭で考えるより、肉体をコミにしてものを考えるべきだ」
という言い方なのだが、

「オウム真理教」への反論に見事に敗北した、と私は思っている。

なぜなら「身体性を大切にする」という物言いでは、オウムを批判することができなかったからだ。
オウムが坂本一家殺人事件の嫌疑などをかけられつつ、一部知識人から擁護された理由のひとつに、
「身体的な修行をかなり突き詰めて行っていた」
という部分がある。

「道場」みたいなところで妙な動きを繰り返すオウム信者が、90年代にはよくテレビに映っていた。あれを不気味に思う人も多かったが、単なる座学ではなく少なくとも体は動かしていたんだな、という見方も一部にはあった。
一部にはあったが、オウムの修行は「脳への刺激」という要素が強かった。
何も何十時間、ヨガみたいなことをしたり立ったり座ったりを繰り返したからと言って「身体性に意識を向けている」ことにはならない。

当たり前だが、「脳」も身体の一部なのである。

それで脳に刺激を与え、それが催眠だったり洗脳だったりしたら、それはもう「身体性がどうとか」とは関係ないのである。

また「身体性」という言葉とは関係ないが、オウムは原始仏教を元にしているからナシ寄りのアリ、「幸福の科学」は、なんだかいかにも新新宗教っぽいからナシ、という雑な区分も、麻原がまだ「朝まで生テレビ」などに出られたころは存在していた。

今考えると、こういうのも雑のきわみである。「原点回帰を志向しているから良い」という考えは本当に安直だ。アホらしいからすぐに考えを改めた方がいい……とか思ったが、もう35年くらい前の話だから、時すでに遅しというところである。

この間、「ラヴィット!」で、令和ロマンの松井ケムリが、
「前から決まっている休みだったから」という理由で、旅行に行くために収録を休んだことがある(相方の髙比良くるまは出席)。
どこまで冗談なのか本気なのかわからなかったが、ケムリが芸人仲間たちと旅行を満喫している写真がテレビに出てきた。
「旅行に行くのでテレビ収録を休む」というのは私の感覚では前代未聞で、何かのドッキリとすら思ったが、そうでもないようだった。

これには司会の川島も笑いに昇華しきれなかったように私は感じた。
が、一般社会では「何か月も前から、旅行を理由に休みを取った」のなら、よほどのことでないかぎり、休むことは悪ではないはず。
タレントの場合、人気商売なのでむずかしいところだが「吉本」を企業だと考えた場合、ケムリのやったことは悪くない。第一、相方のくるまは出席していたのだし、番組は滞りなく進んだ。

果たしてケムリがやったことはわがままなのか? 「自我の肥大化」なのか?
それを判断するのは、あなたです(どうでもいい)。

なお「身体性」に対する問題意識は、古武道から来る「ナンバ走り」など、西欧的価値観とは違う体の動かし方があるのでは、という問題意識とつながっていることはひと言、申し添えておく。
古武道や中国拳法、ヨガなどが「体を動かすこと」を考える際、浮上しがちなように、「体を動かすこと」は、意外とスピリチュアルと直結しやすいのだ(古武術がすべてスピってると言いたいわけではありません)。

おしまい

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