情報過多による「感動」の低減をどうするか
数年前、なんかの動画で等身大(設定に忠実な大きさ)のパトレイバーの、あれ何ていうの? 巨大な模型? がジャッキアップで立ち上がる、というイベントがあって、それの様子が映ってた。
大勢の見物人が、スマホでその光景を撮っていて盛り上がっていたが、その光景が解説される際、
「おたくってすれっからしで冷めていると思われがちだけど、こういうときにはちゃんと盛り上がるんですよ」
と言っていて、いろいろと考えさせられた。
おたく・マニアにもいろんな人がいて、いろんな姿勢というか態度があるが、確かに何がどんなふうにリリースされても冷めている人はいる。
こうした態度の理由は、いろんな場合がある。
・本当ははしゃぎたいけど、カッコ悪いと思ってクールを気取っている
・情報を摂取しすぎて、感動が低減してしまっている
・単なるイヤなヤツ。何がうれしくておたく活動をしているのかわからない
・顔が特殊な硬化剤で固められており、表情が動かせない
・何が起こっているのか、そもそも何も理解していない人
・宇宙人
・ゴム人間
・浅田飴
もともと作品の読解にはどうしても知識が必要で、ある程度、知識が積みあがっていくと作品がより楽しめるようになる。
しかし、知識が一定量を超えると、パターンが読めてしまうし、作品を読解したり考察したりする思考も習い性になってしまう。
こういうことを書くと怒られるとは思うが、伊上勝の脚本だったら、それがよっぽど好きな人でないかぎり、「まあこういう展開にはぜったいならないだろう」とか予想が付いてしまう。
パターンが読めてくると、どうしても冷めてしまうわけだ。
これをどう克服するかは、一定量の知識以上になると、人によって変わると思う。
しかしいわゆる「すれっからしの人」ってハタから見ていてぜんぜん面白くないし、むしろ気の毒だな、と思う。
できるかぎり、そういう態度はやめようと自分は思っている。
何がしかの作品があったら、傑作だったら盛り上がりたいし、駄作だったら激怒したい。
他人はどうか知らないが、ここを心掛けておかないと、自分はぜったいウツになる。
おしまい
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