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子供時代の恐怖タイムから自分を救え

70年代は、子供にとっておそろしいものがあふれていた。

もはや有名になったとさえいえるスカム系ホラーマンガ、「戦争のおそろしさを子供に刷り込むには、引くほど残虐なものを見せればよい」と思っているとしか思えない反戦教育。
交通地獄、公害病、どんな人が住んでいるのかもわからないほど不穏な感じでボロボロの家、どんな人かわからない不審人物、戦中の教育を引き継いできた学校教師、洞窟みたいに暗い病院。

そういうものに浸かっていると、不意に「恐怖ゾーン」に精神が飛ばされる。
それはたいてい、休日の真昼間などにおとずれる。
何もすることがない、したいことも子供だからお金がなくてできない、テレビも何も面白いのがやってない。
外は妙に静かで、あまり人通りもない。

白昼夢、正確に言えば「白昼悪夢」の世界。

そんなときに、過去に目にしたおそろしいことどもがフィードバックされてくる。

住宅街に転がった、幼児のためのゴムボールが、だれかの髑髏に見える。

恐怖で気が狂いそうになる。

しかし、親にうったえても子供の恐怖感はまったく理解しない。
しまいには、子供の恐怖が理解できず、親が「しつこい!」と怒りだす。

……と、ここまで書いて、
「こんなこと書いてもしゃーねえわな」
と思った。

他人は知らないが、私は自分が気分が落ち込むことを書くのが得意だ。安きに流れるとついそういう方向に行ってしまう。

自分を鼓舞しなければ。鼓舞といっても昆布のことじゃないよ。

私は「世界ユーモアSF傑作選 1」に収録されていたピーター・フィリップスという作家の短編「夢は神聖」が好きだった。
内容はおおかた忘れてしまったが、悪夢にうなされている少年に、父親が「特別なことをさせてやる」と言って、拳銃を撃たせてくれるのだ。
それが少年の悪夢に対する勇気のもとになったと記憶している(記憶違いかもしれんが)。

今ではこういうのは、「銃社会アメリカはいかがなものか」的な観点から批判されてしまうんだろうか。
しかしあくまでも記憶のみだが、「夢は神聖」にはブロンソンの映画「狼よさらば」的な「目には目を」的な感覚は皆無だったように思う。

おしまい

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