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肉筆回覧誌の思い出

ネット上で、だれかのマンガの肉筆回覧誌が発掘されたとの話を読んだ。

それで、古い記憶が思い出されてきた。
自分が肉筆回覧誌をつくったことがあることを。

時代は1980年か1981年だった。
自分が中一か中二の頃だ。

自分は中学生だったので、同人誌をつくるお金もなかったし、その方法も知らなかった。

そこで、肉筆回覧誌をつくることにした。

本来の肉筆回覧誌とは、60~70年代のマンガ同人グループが、作品(原画)を一冊にまとめ(たぶん印刷費がないなどの理由から)、郵送などでそれを回し読みして、感想を言い合ったりするものだ。

80年代前半の時点で、当時、肉筆回覧誌はまったくなかったということはないと思うが、詳細は知らない。
時代的には聖矢、キャプ翼の大ブームで、同人サークルが爆発的に増える直前のことだ。

とにかく、自分は肉筆回覧誌をつくろうと思った。
あ、記憶をたどっていくともしかしたら1984年頃かもしれない。その頃、自分は高校生だが、同人誌をつくるノーハウも金もなかったことは中学生の頃と変わらない。

周囲にマンガを描いているのがIくんしかいなかったので、彼を誘った。
なんで「高校生になってからかもしれない」と思ったかというと、私はIくんに「肉筆回覧誌をやらないか」と、手紙を書いたからだ。

さすがに当時でも、クラスメートにわざわざ手紙を書くようなことはしない。

Iくんと私は別の高校に通っていたので、手紙で誘ったのかもしれない。

この頃の自分は、自作のマンガ作品を発表したくてしたくて仕方がなかったが、その方法がわからなかった。
描き手が私とIくん、二人しかいないということは、二人で回覧するつもりだったのかよく覚えていないが、とにかく当時の自分にはそういう初期衝動があったわけだ。

そして、確か1冊だけ出して終わりとなった。
言い出しっぺの私は、そりゃ全力でマンガを描いたが、誘われた方のIくんは手も遅かったし、ページ数も少なかったし、作品も適当だった。

こういう挫折感は、はっきり言ってやった者しかわからない。

当時はマンガ用の原稿用紙はまだ市販されいなかったか、大き目の画材屋にしかなかった。
仕方ないので高い上質紙を買ってきて漫画原稿用紙とした。
それらの原稿も、出版社への投稿サイズで仕上げてしまうと、紐でくくってまとめることがむずかしいので、「肉筆回覧誌用」の原稿サイズを決めて、Iくんにもそれを徹底させた。
閉じる紐だってよくわからなかった。学校の先生が日誌を閉じる紐を探して買ってきて使った。

で、……すべてが無駄だった、と思う。

やらなきゃよかった。

ほんっとうに虚しい。

人生すべてが虚しい。

ちくわとか食ってヘラヘラ笑っている自分を殴りたい。

そこのヘラヘラしているおまえ、一発殴らせろ!!!!!!

おしまい

(追記)
こういうことを、トシのいった人間が書くと、私より若い人は、イヤな気分になるか、虚無感に襲われるか、とにかくマイナスな感情しかわかないと思う。
でも訂正しません!!!!!!!!!

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