「デッドプール&ウルヴァリン」は元ネタがわからなくてもじゅうぶん面白い
別のSNSで「デッドプール&ウルヴァリン」、別に過去作を復習せずに観ても面白いよ、だいたいそんなに敷居が高いなら大ヒットしてないでしょ、と書いても何の反応もなかった。
「いいね」も付かなかった。
ネットに何を書いても良い反応がない、良い手ごたえがないのは、辛いものです。
「デッドプール&ウルヴァリン」で思ったのは、基本ラインが「懺悔からの自己の精神的向上への希求」と「偽救世主の問題、あるいは本物の救世主とは何か」というモチーフ。
ここがしっかりしているから、元ネタがわからないパロディが頻出しても、観ていて迷子にならない。
マルチバースの概念をふくらませたヒーロー映画は数多い。
正直、「デッドプール&ウルヴァリン」について最初、あらすじを聞いたときに「またマルチバースか」と思ってしまったのだが、じゅうぶん新味が感じられ、ついに「マルチバースなのは当たり前で、今度はそれをどうひねっていくかの時代」になったのだなと思った。
だからMCU好きな人の一部に、本作を「サプライズ映画」と規定し、「送り手側のこういうのが見たいんだろ? という観客の欲望を汲んで見せられる光景に、逆に踊らされているようでイヤだ」という意見がこの映画にあるのはわからなくはないのだが、むしろ「マルチバースネタとしての新味」に注目したいところだ。
なお本作の「あちこち、大脱線するけど最終的にスーパーヒーロー映画として戻ってくる感じ」は、どうしても、いかに陳腐な感想だと言われても「一神教的な、確固たる倫理観」があるからこそ、そこから脱線できる、という部分があると思う。
これは映画「バットマン」シリーズが、「バットマンは『自分が信じる正義』という神に従う救世主なのだ」という点をはずしていない(そこは「リターンズ」はわざとはずすわけだが)こととも共通している。
おしまい