小学生が書く詩の話
あまりに暑い。家の近所どころか、部屋から外に出られない。トイレに入っていても、暑くて気分が悪くなってくる。
こういうときは、暗いことばかり思い出す。
小学校三年生か四年生の頃、「詩を書く」という授業があった。
ところが自分には一行も書けなかった。
朝から居間にいて、原稿用紙を前に「どうしようどうしよう……」と思ったら昼になり、夜になって休日出勤していた父親が帰って来ても一行も書けていなかった。
朝から夜まで「詩が書けない」と苦しんでいる私にあきれた父親は、大正生まれらしく私を叱り飛ばし(叱られる理由、あるか?)、
「時間がないからおれが書いてやる」
と言って、代わりに詩を書いてもらった。
この詩は、学校に持って行ったら先生にほめられた(笑)(父親も文学コンプレックスがあるような人間ではあったから、文章をたしなんでいたのだろう)。
いわゆる「学校秀才」であった私が、詩が一行も書けない、ということは教育ママゴン(死語)であった母親のプライドをいたく傷つけたらしく、「小学生か書いた詩」の本を数冊買ってきて私に与えた。
それと、年の離れた兄に母親が「小学生の書く詩」について相談したら、兄が、
「そもそも小学生に詩が書けるわけがない」
と断言したそうだ。母親はその言葉を聞いてひどく安心したようで、
「小学生に詩が書けるわけがない」
と、その後、何度も何度も何度もこのことを言っていた。
しかし、兄の言っていることは真っ赤なウソである。
現に、「実際の小学生が書いた詩」の本は今も刊行されているし、日本全国の学校の授業で、子供たちは詩を書いていることだろう。
もちろん、「子供が無邪気に、やりたい放題で書いたことを『詩』と評価すること自体、日本の自由詩のコンテクストを踏まえていないのだから無意味である」というようなお堅い批判も可能ではあるが、兄がそんなことを考えているわけがない。
テキトー言ったのだろう。
その後も、「詩」の課題が小学校六年くらいまで授業で出ていた記憶があるが、自分がどう乗り切ったかの記憶はない。
その代わり、同級生たちが意外なほど「自由詩」をスラスラと書いていた記憶はある。
自分が苦手だったから、よけい覚えているのだ。
たとえばヨコタさんという、同級生の男子を常に毒づいているような女生徒がいたのだが、ちょうどその頃、小学校の校庭がアスファルトみたいなやつから土に変わる工事をしていた。
で、その「校庭工事」に関して、
「校庭の工事が終わったら、土の地面を裸足で思いっきり走るんだ」
と詩の中で書いていたのが記憶に残っている。
先生が、その子の詩を読み上げたのだ。
むろん、悪ガキ男子の一人が「本当に裸足で走るのかよ?」などと冷やかしていたが、ヨコタさんは苦笑していただけだった。
ここで驚かされるのは「思いっきり裸足で走るんだ」という詩的表現である。
もちろん裸足で走るわけがない。「裸足で走ってみたい」くらいの意味だろうし、「自身の肉体を『土』という自然になじませてみたい」という含意がある。
他にも詩がひとつも書けない(思い浮かばない)私が驚かされるような詩を、同級生はたくさん書いていた。
小学生は大人が思うよりも器用なんだと思う。無邪気だから詩が書ける、という面もあるだろう。
私は教師の顔色をうかがうことしか考えていなかったので、「教師に合わせた回答」ばかり考えていた。
だから詩が一行も書けなかったのだと思う。
テーマが自由過ぎて、基準がわからないから。
現在、「自由詩」に何らかの定型があるのかないのか、よく知らないが「デタラメを書いていい」というのならそれこそ100行でも書ける。
だってデタラメなのだから。
詩「校庭工事」
作:新田五郎
校庭を工事するって言うけど、缶ビール一杯でそんなこと言ってしまっていいの?
タワラマチがそう言った。
私は缶ビールではなく、アンモニアの液体を飲んでいたので、
「間違えるな!」と怒鳴りつけたんでDV認定。
コウモリ傘の裁判官、ビックリマンシールのはがした残りの紙の検事によって欠席裁判にかけられた。
その頃、私はモルディブにいたので裁判に出られなかったのだ。
私の弁護士は2023年に、1970年代の百科事典のセールスをやっているジジイで、まったく当てにならず、私がモルディブでバカンスを楽しんでいる間に欠席裁判で死刑が確定。
しかし、持ち前の「戦士の銃」で、コウモリ傘の裁判官、ビックリマンシールのはがした残りの紙の検事、1970年代の百科事典のセールスをやっている弁護士を撃ち殺した。
現在、校庭の工事は中止されている。
理由は、校舎自体がないからだ。
校舎がないうちから校庭をつくるなんて、生意気だ。
私はそう言いながら学校建設の責任者の尻を、鉄球でバンバン叩いていたら、手が疲れてきたので豚足でも食べながら休憩することにした。
しかし、「豚足を買ってこい」と命じた「学校建設の責任者」は、二度と戻ってこなかった。
もうお尻を叩かれたくなかったからである。
おわり