提出しなかったバージョン

聖徳大学短期大学通信教育部 図書館司書課程科目等履修生
児童サービス論レポート
設題:子どもにとって読書はなぜ必要か、できるだけ自分の課題を踏まえながら論じなさい。

注)実際には、以下に載せたものを切り刻んで書き直したものを提出しています。評価はAでした。Sもらえるときもあるので微妙。
注)だからこれを真似しても何もいいことないし転用とかはやめてね。

1)はじめに

 「子どもの読書活動の推進に関する法律」において、読書の意義は「子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、想像力を豊かなものに」する活動であるとされ「人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないもの」であると述べられている。

 読書によって子どもは人生をより深く生きる力を身に付けうるのか。子どもにとっての読書の必要性は「何かを身に付ける」ことにあるのか。設題に従い、できるだけ自分の体験を踏まえながら考えていく。 

2)自分の体験・小学校

 最も「読書する子ども」だったのは小学校高学年のときだった。幼児期から読むことは好きで、親が読み聞かせ用に購入した本を棚から取り出して勝手に読み進めていたが、読書の切実な必要さを意識していたのは小学校四年生から六年生にかけてのことだった。

 親の都合で、その期間に二度の転校があった。三つの小学校に通ったことになる。どこでも友達はできたが、注目されたりからかわれたりすることに敏感な方だったので常に緊張していたように記憶している。 

 読書に没頭したことはそうした背景と無関係ではないだろう。学校の図書室や町の図書館に行くと自由を感じた。これはどれでも好きな本を選んで良いという自由であり、一人きりで過ごして他の生徒から評価されたりしない自由だった。先生などは、本をよく読む生徒をその点で以て真面目だ等と評価しようとしたが、そうしたイメージに隠れられるのは好都合だとも思っていた。 

 読書の場は図書館だけではなく、町の書店で文庫版の小説を二時間ぐらい立ち読みしたり自宅で家電のカタログやレコードのライナーノーツなどを読んだりしていたのはこの頃だったと思う。

 図書館で本を選ぶ条件のうち重要なのは「人と被らないこと」だった。少年探偵シリーズなどの人気作に手を出してしまうと、誰が何巻を読んでいるか、誰が先かという話題に巻き込まれがちであり、それは「評価されない自由」を求めての読書という行為を台無しにすると思った。 

 他の生徒が読まないなおかつ丁寧に作られた感じが伝わる本を求めた結果、古典文学全集を読んでいた。『弓張月』『曽我物語』『義経記』などが好きだった。

 この当時の読書は果たして「言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、想像力を豊かなものに」するものだっただろうか。現実逃避していただけのようにも見えるが、精神的な逃げ場が必要な環境にあったのかもしれない。

3)自分の体験・高校

 純文学小説の他に時代小説・SF小説などを興味の赴くままに読むなかで、突然「本の対象年齢とはいったい何なのか」ということが気になり出した。 
 大人並みに読むことが出来るようになった(と驕っていた)ら、それまでに読んできた本はもう過去のいらないものなのか。その逆に、例えば小学生に司馬遼太郎やブラッドベリが勧められないのは何故なのか(文章の難度や描写の過激さといった表面的なこと以外の理由で)。『ゲド戦記』や『指輪物語』などに触れ、こうしたファンタジー小説は誰が読むべきものなのかを考えたのがきっかけだったと思う。

 図書館の児童コーナーに赴いて小さい頃に親しんでいた児童書や絵本を次々に開いてみると、頭の中にあった疑問は消し飛んだ。どの本にも新鮮な面白さがあった。
 初めて読むような、という意味ではない。ある程度の成長を経た者の視点で読んでいる現在と、最初に読んだあるいは読んでもらったときと、両方の視点で物語に触れる感覚が新鮮なものだった。表現が重層的な意味合いを持って目の前に立ち現れてくる感じがした。

 中でも松谷みよこの『モモちゃんとアカネちゃん』シリーズを特に興味深く読んだ。二人の姉妹の目を通して描かれた情景が美しいだけでなく、両親などの大人たちの心情が生々しく伝わる場面もある。そうしたことが高校生になって読み直すことで新鮮味をもって伝わってきた。

 友人にその体験を話して、児童書の再読が自分たちの間でちょっとしたブームになり、松谷氏が市の読書啓発イベントで講演を行ったときは観覧に出かけたり、イラストや感想文をまとめた冊子を作ったりして遊んだ。


4)おわりに

 子どもにとって読書は「欠くことのできないもの」には違いない。しかしそれが「何故なのか」という所は多様なのではないかと、自分の体験を振り返ったときに考えた。

 小学生の自分にとっての読書は孤独を得るための手段だった部分があるが、それを積み重ねた先に、読書を通じて人と語り合ったり自分からも表現を試みたりする機会を持てたのは幸福だったと思う。

 読書が「人生をより深く生きる力を身に付けていく」ものであるためには、その機会がいつでも、誰にでも開かれている必要があり、図書館における児童サービスの重要さもここにあると認識している。

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