修羅の小学生編のためのメモ

あの時ソファで勧められた飲み物はルートビアだったような気がしている。
踊りながら倒れたのが薬局の前だった。だから何かの薬だろうとその時は思い込んだのだけど、結局何だったのかはわからない。

ただ、あのおかしな味と、胸のムカムカする感じとが、記憶の中でごちゃまぜになっている。
それとたぶん怒りとが。

今年になってからほぼずっと引きこもっています。皆さんはお元気でお過ごしでしょうか。
わたしは、びっくりするほど無気力に日々を浪費してます。two dotsが300面ぐらい進んだ。アマプラで銀魂をとりあえず50話まで見た。あと漫画アプリ3種類ぐらいをぐるぐる回っててきとうに漫画を読み散らしています。

昨日は久しぶりに外を歩きました。
歯医者さんに行かなきゃいけなかったのと、マイカーが車検からまだ戻ってなくて代車はあったけど車内のにおいが気になりすぎて乗れなかったので、本当に久しぶりに歩くということをしました。

交互に両足を出していると自分が前に進んでだんだん目的地の方に近づくのが妙に思えました。
歩くのってこうでいいんだっけ? まあこのままこの動作を繰り返していれば歯医者さんに着くみたいだからいいか…
自分のしている動作を意識したり意識するのをやめたりすれ違った車に(この道一方通行だぞ、正気か?)と思いながら振り返ったりしているうちに、目的地を通り過ぎていました。

慌てて戻って歯医者さんに入って、診察券を取り出したら裏面にはその日の日付と共に3時間後の時刻が書き込まれていたので、
予約の時間を間違えて記憶していたことに気がついて受付のお姉さんに笑顔で会釈してから一旦帰宅しました。

踊りながら倒れたというのは少し大げさで、
貧血で動けなくなったのには違いないけど限界までがんばってばったり倒れるみたいなことには一度もなったことなかった。
もっと小さい頃から症状には慣れていたし、同じクラスの子が朝礼で急に身体の平衡を失って膝を片方ずつ順番に折り曲げながら校庭の地面に傾いていって頭を打っているのを遠くに目撃してから、倒れるということはマジで恐ろしい、と思っていた。

ので、踊っている途中にだんだんと視界がざわざわした黒い影に覆われてきたときに、これは今日は最後まで踊れないなと判断していて、
影が視界の全体をふさいで少しだけ見えている部分も青白いフィルターがかかったようになって呼吸がうまく出来なくなったとき、
もう扇を持った手を下ろして踊りの列を外れ、その場にしゃがみ込むことにしたのだった。それが薬局の前だった。

小学五年か六年のときの話、
その当時に住んでいた町は夏祭りが少し有名だった。
そして何故か地元の小学生はお囃子にあわせた踊りを全員がマスターしていて、
夜に祭り本番を控えた日中、真夏の炎天下の通行止めにした商店街の道路、体操着に扇という装備で、
ズラリと列をなして踊りながら進むやつをやっていた。
パレードって言いたかった。まあパレードに出て踊ってる途中で貧血を起こしたというわけ。

気分が少しましになってから身体を起こすと薬局の奥の住居でソファの上にいた。
知らない家族が私にソファを譲ってカーペットに座っていた。お年寄り、大人、子供、合わせて五、六人。

誰かが私に、飲み物の入ったグラスを手渡した。茶色い、妙なにおいのする液体で、一口で気持ち悪くなって、詫びながら遠慮した。
そのあとのことはよく覚えていないけど、パレードには戻らずに帰宅したと思う。 

娘とカルディに行ったときだったか、戯れにルートビアを買って飲んでみたら、倒れた日のことを突然思い出したのでした。

あの夏祭りの町に住んでいたのはほんの二年半ぐらいの間でしたが、何だか独特な土地柄で独特な行事や何かに追われて、日々を緊張しきって生きていたように思います。

小学校では朝の授業の前にマラソンの時間があったこと、運動会の種目に騎馬戦があって大半の生徒が一人で素早くたすき掛けが出来たこと。
たすき掛けは友達に教えてもらって覚えましたが、盆踊りの踊り出しに扇をこう、片手でバサッと振って一気に開くやつはうまく出来ませんでした。

地域では、どういうわけか夏休み以外にもラジオ体操があって、しかも体操後に大人たちと一緒に数キロ走ってから解散してました。何だったのあの集まりは。
あと、冬には何故か町内対抗のかるた合戦に参加させられました。同じ町内は転勤族の家庭ばかりなので長年かるたをやっている高学年児童がおらず、仕方なく出場したという流れだったはず。
慌てて百人一首を暗記したものですが、決まり字を覚えていて札を取る際にスパーッと飛ばすような子には全然勝てなかったです。あれかっこよかったな…。

当時わたしは常に、緊張しているほかに、怒っていました。
変な習慣、変な競争に巻き込まれて、ずっと前からそれらに慣れている子たちと比較される。いつも何かを必死でやらされてる。
そういう状況に内心では怒り狂っていたと思います。

踊りの途中で貧血を起こして脱落したことも、休ませてくれた薬局の人がくれた薬?を飲めなかったことも、長らく私の記憶のなかで、強い怒りの対象でした。
踊りきれなかった、人の親切を断った、と、自分に対して苛立ち、怒っていたのです。
しかも怒っていることを自覚していなかった。

最近になって、当時の自分の気持ちを思い起こして、あー怒っていたんだねー、大変だったものね。などと思うのでした。

その町での私はパレード脱落一件後ぐらいから本気で荒れていって、
学級崩壊が起これば担任を攻撃する女子生徒のグループに入り、近所で二組に分かれて雪合戦をすればちょっとずつ相手チームの子を味方に引き入れて嫌いな奴を最後の一人にし、とくに意味なくカエルを殺す、知らない男子生徒と格闘して畑に投げ込む、等々、とにかく殺伐としたエピソードばかりが思い出されます。

最近では徒歩数分の歯医者さんまでまともに辿り着くことも出来ないくらい弛緩しきった生活をしてるというのに。

当時と今との緊張感をうまいこと足して割って均等にしたい。
そんなことを、自宅のソファの上でぼんやりと考えています。

(三月に途中まで書いてた下書きがもったいないのでてきとうに書き足して公開するものです。足してるうちに変な思い出が蘇りまくったので、また改めて語りたいです)

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