(創作)埋め雪
外階段まで雪が吹き込む日はめったにないので小走りに駆け下りる。その先にはスノーダンプが三台重ねて壁に立てかけられている。小ぶりなものを選んで引っ張り出す。午後三時きっかりに作業を始める。義父はその二十分も前から外に出て通りをじっと見渡しているけれど、気にしない。
自宅の敷地脇の側溝に水が流されるのが三時。今、同じ通り沿いに住む人たちが赤や黄色のスノーダンプを各々携えて雪を踏みしめ、すくい上げている。雪寄せがはじまる。
わたしも家の壁に沿って積まれた山から雪をすくい、流雪溝の中を黒々とした水と上手の誰かが投げ込んだ雪が通り抜けるのを見てから投げ込み、そして頭の中ではとめどない独り言がはじまった。
*
こんにちはミナトです。今日も雪寄せラジオの方、やっていきたいと思いますのでよろしくお付き合いください。
今日初めて聞く人のために説明しますと、このラジオは雪寄せ作業の間、わたしの脳内だけでお送りしている一人喋りプログラムとなっております。雪寄せしながら思い浮かんだことをどしどしお話ししてまいりますので、まあ取り留めのない感じにね、毎回、なっちゃうんですけども。
どうして頭のなかでしゃべり続けるのかとか、説明的なことは後からまたちょっとずつ語っていこうかな。先に今日のお言葉のコーナーに行きましょう。
今日のお言葉は、司馬遼太郎の時代小説『峠』より、「北方人は、損だぜ。」です。冒頭の場面、地元の通りを河合継之助がちょっとキレながら歩いていく所で、心の中に思っているせりふでした。
北方人は……、ねえ。これは本当にそのとおりですね。どのくらい損かって、説明しきれないくらいすごく損してる、ハンデを負っている、そう思います。
今わたしが居る所は、秋田県の横手市っていうんですけど、全国でも有数の豪雪地帯です。大雪のニュースで公共放送が現在の様子ですって言って流す映像にうちの近所がよく使われます。本当にすぐ近所なの。たぶんうちの向かいらへんの屋根に定点カメラがついてる。
横手市が除雪にかけている費用ってどのくらいなんでしょう。今度調べておきますね。まあ雪が降ったら夜中に除雪車が通ります。見たことありますか除雪車。雪かき車。道路工事の車に似てて、先頭にでっかい板がついてる。地元の人はブルって呼んでますね。ブル。
除雪車は雪を全部持っていってくれるわけじゃなくて、こう、路面をガーッとならして、とりあえず車が通れるようにしていくという感じ。この除雪車を一冬に何回走らせるのかな、何台除雪車があって何人ぐらいの人が働いてるんだろう。とにかくこれらにたぶんかなりのお金がかかってます。
道路の雪をならした結果、車道の両端に雪の山が出来上がります。これをそのままにはしておけないんですよ。ある程度、この、除雪車が作っていった雪の山を整理しておきます。そして自分の町内の流雪溝が稼働する時間に、雪を投げ込んで流します。スノーダンプでね。
こっちに来る前は自分のする除雪作業のことを雪かきって言ってました。村上春樹も文化的雪かきって言葉を使ってますね。何を指してそう言ってたのかは忘れましたが。
この辺りでは雪かきって言う人あんまりいません。みんな雪寄せって言ってる。さっき説明したような一連の作業、今私がやっている、雪の山をスノーダンプですくっては側溝に投げ入れる動作、これらはたしかに「掻く」って感じではないです。ひたすらに雪を「寄せ」ている。雪を投げている。雪投げって言う人もけっこういます。投げるは捨てるっていう意味ですけど、これは方言?
方言、秋田弁のことが、いまひとつよくわかってないです、わたしは。子供の頃、あちこち引っ越してたから、これが自分の言葉っていうのがない。雪寄せのことはだいぶ詳しくなりました。横手に嫁にきて五年になるから。
まあ雪寄せのことを知っていても、降らない地域に行ったら別に何も役に立たないですね。でもこれを、雪を寄せて雪を投げることを、毎日毎日やらないと、大変なことになるわけ。
どう大変って、すごく大変なんですよ。除雪車が通ったままにしておくと、歩道はでこぼこになりますし車道もやがて狭くなりますし、何より雪寄せをしっかりやってるかどうかっていうのを、ご近所はお互いに見ている。監視社会とかそういうのじゃないですよ。雪寄せがされてないと、あそこの家の人は大丈夫かな、寝込んでいたりするんじゃないかな、って、わたしも心配に思います。ご近所に心配されるのもいやなので疲れていても張り切って雪寄せしちゃいますね。やっぱり多少は監視社会なのかも。
ねえ、大変でしょう。北方人は、損だぜ。
*
ツバメさんに直接会って話したのは二度だけで、そのうちの二度目は春先、前の冬が終わったばかりの頃だった。
「アカ消ししたからどうしたのかと思った」
「すみません」
「ツイッターでミナトの生存確認してたからさ」
言いながら彼女はリュックサックを椅子に置いて綿のジャケットを脱ぎつつするりと空いているほうの椅子に腰かけた。いつも動作が素早いだけでなく、迷いがない。
「連絡すればよかった、ごめんなさい。電話くれてありがとうございます」
「こっちで撮影あってさ。蜂蜜コーヒーお願いします」
後半は店員さんに向けて言っている。さっきの動作の間にコールボタンを押していたらしい。
「先に本題なんだけど、雪の写真の企画ダメだったわ」
「ダメでしたか」
「いやこっちの見通しが甘かったなって。ごめんね」
「こちらこそごめんなさい」
ツバメさんは高校の二年先輩だったがその当時はあまり接点がなかった。頭が良くておしゃれで、目立つ人だったのでわたしは覚えていた。東京の大学に進んだ後でカメラマンになって、去年こちらに帰ってきてフリーで仕事をしているという。
観光案内所で働いているわたしの所に県のPRポスターの撮影で現れたとき、声をかけて連絡先を交換した。それが一度目。それから二度目のこの時までは、ツイッターのメッセージ機能で時折やり取りを交わしていた。
「旦那のこと進展なさそう?」
話題がどんどん変わる。ツバメさんと話していると深い川の流れのなかにいるような気分になるときがある。すごいスピードで考えて、考えたことをそのまま話す人だと思う。流れは分厚くうねっているけど透明で、冷たくはない。
「何もないです。いなくなったときのまま」
「ずっとその家にいるの?」
運ばれてきた飲み物に口をつけようとして、やめて、ツバメさんはわたしを見た。化粧をまったくしていない様子なのに二重まぶたの線とまつ毛が整っているせいで四十近いようには見えないな、と思った。
「いるつもりです。実家みたいに過ごしてますよ。居心地良く暮らしてます」
「旦那のお父さんと二人なんでしょう? 不便じゃないの」
「二世帯住宅で、別々に暮らしてる感じ。外にも中にも階段あって行き来はしやすいですが、あまり顔を合わせないです」
「そのほうがいいのかもね」
チノパンのポケットを押さえるような仕草を見せたので、リュックサックにはカメラが入っているだろうか、とわたしは考えた。撮影の帰りなのだから入っているだろう。もしかしたらノートパソコンも。
ツバメさんはタバコを吸いに喫煙室に向かうつもりだろう。わたしも、とわたしは言いたくなるだろう。二人してそれぞれに煙を吸い込んで吐き出しているついでだったら、わたしは思っていることをもう少し話せるような気がする。
しかし実際にわたしも、と言ったら彼女は迷惑するのではないか。
「ここの店、喫煙室がレジの横にありますよ」
「マジか」
「荷物番してますね」
あざっす、とかいう男子中学生みたいな礼の述べ方をしながらツバメさんはするりと席を立った。
すっかり冷めた手元のカフェオレを見下ろしながら、わたしは何を話すのがいいのか、何を話さないでおいたらいいのかを考えこんでいた。
ツイッターのアカウントを削除したのは、夫が行方不明になった時に情報提供を呼び掛けた書き込みについて、三年近く経っても批判的な返信が続いていたからだった。叩かれるばかりで役に立つ情報はまったく入ってこなかった。そうなることを予測できなかったわけではなくて、あの時は、何をどうしたら良いのか途方に暮れていた。途方に暮れている自分を誰かに見つけてほしかった。
ここまで考えて、ツバメさんがそんな話を聞きたがるだろうか? と我に返った。それより冬に撮影してもらった記事の企画が取りやめになった件をくわしく尋ねたほうがいいだろうか。付き合いのあるローカル雑誌に四ページ程度の特集記事を書いてみてほしい、とツバメさんから連絡を受けて、テーマは自由だけど、というメッセージを見る前に「雪寄せのことを書きたいです」と宣言していた。既に積雪期だった。
ツバメさんはすぐに横手に来てくれて、あちこちの流雪溝作業の様子や雪景色などを撮りまくって行った。わたしは仕事のシフトが変更できず撮影には付き添えなかったが、何やかや頭を悩ませたり図書館で郷土資料を参照したりしてどうにかテキストを書いた。
何がダメだったのだろう。掲載側の都合かもしれないが、わたしの文章がダメだった可能性を思うとため息が出て、これは怖くて聞けない。とはっきり思った。やがて、自分の文章が原因だったのだろう。そうに違いない。と結論づけた。
「いろいろご迷惑かけて申し訳ないです」
戻ってきたツバメさんにわたしはそれだけ言った。
最初は遠慮されたが、三回ぐらいお願いしたらこちらでコーヒー代を払わせてもらえた。ハイエースほしいんだよね、などと話しながらパジェロミニに乗り込んで、エンジンをかけながら同時に窓を開けてこちらに手を振りながら、彼女は何か言った。
「……、……、……?」
「ごめんなさい、聞こえなかったです」
「今日はありがとうね。って。それじゃあ!」
砂埃を立ててツバメさんは帰った。
わたしのなかにも何かの思考が常にツバメさんと同じくらいの勢いで流れていることを、ときどき意識させられる。でもこの流れは血液みたいなもので、ずっと身体の内側を走り続けて、どうしても外に表すことができない。
本当にこれが血液みたいなものだったら、外に全部が流れ出したときには死んでしまうのだろうか、わたしは。
*
今やっている雪寄せ、流雪溝に雪を投げ入れる作業、には、そんなに腕力は必要ないです。わたしは腕立て伏せ一回もできません。
必要なのは何だろう。スノーダンプを要領よく取り回すこと、手袋などの然るべき装備を整えること、このくらいでしょうか。
手袋はゴム製の軍手がいちばんよいと思います。スノーダンプのハンドルは金属製なので素手は論外です。握り続けていることができない。よくある布の軍手は、まあまあです。ちょっとだけの作業、たとえばコンビニに行くために自家用車の周りの雪だけ寄せたいなんていう場合にはそういう軍手でやることもあります。でも流雪溝の作業だと小一時間は雪をすくっては捨てているわけで、そのうちに手が湿って冷え切って、ちょっと痛々しいことになるのでおすすめできません。スキー用の厚手の手袋も悪くはないんですが、しっかりした厚手の生地だとハンドルを握りにくいです。それといつの間にか傷んでしまうから、もったいないですね。やっぱりゴムの軍手がベストです。
服装は意外と軽装です。最初の頃はスキーウェアの上下を着て同じブランドのニット帽をかぶって張り切って外に出ていたんですが、見回したらそんな人はいませんでした。だいたいみんな、部屋でくつろいでいるときの服装にウインドブレーカーなんかを重ねただけっていう感じ。お父さんなんか、スウェットの上下にユニクロのダウンを羽織って、ちょっとおかしなかっこうになってますね。
わたしは、綿パンツに長袖Tシャツぐらいの薄着で、その上に古くてボタン穴の端と袖口が破れてる薄手のダッフル、学生のときよく着ていたものです。これだけ。
どうして意外と薄着、軽装なのかっていうと、雪寄せをやってみればすぐにわかります。外は雪でそれは寒いんですが、作業を始めて数分で汗をかきます。終わるころには背中がぐっしょりしているし、髪の毛は汗で額や首筋にくっつくぐらいです。だから手ぬぐいを首に巻いて雪寄せしている人も見かけます。
足元はゴム長靴以外に考えたことないですね。他にいい雪寄せ用の履き物があったら教えてください、逆に。ゴム長一択です。ゴム長。余談ですがこっちの年配の人は「長ケリ」って呼びます。ながけり。何かで読んだんですがケリはアイヌ語で靴のことらしいです。でも長くない普通の靴のことをケリって呼んでるのは見たことないですねお年寄りでも。ああ、でも、ズックって言ってる。長くない靴はおしなべてズック。ズックは何語なんだ。
装備のほかに必要なことは、寡黙さですね。しゃべらないことです。雪寄せしながら賑やかにおしゃべりする人を見たことがありません。みんなそれぞれに口を結んで黙々と雪を寄せています。
ここへ来たばかりの頃、雪寄せに不慣れだった頃は、あれこれ話しながら雪寄せやってたんですよわたしは。今日の雪は重いですねーとか、吹雪いてなくて助かりましたねーとか。でもそれ言われた近所の人とかお父さんとか、みんなリアクションがめちゃくちゃ薄い。ほとんど「ですね」とか「ああ」とか。まあこれわたしが距離を置かれてるだけかもしれないですけど。そうかもしれないですけどやめて。
観察してみると、雪寄せの間は口をあまり開かないのがルールみたいになっている様子でした。ルールというより、みんなの習性ですね。わたしも最近は黙々とやってます。
一人でやる作業だったらイヤホンで音楽とか聴きながらだと楽しいかもしれませんね。でも周囲の音が聞こえないと、例えば除雪車が近くを通るとか、そういうとき命にかかわるから試したことないです。しゃべらないって言ったって「この辺で今日はやめにしよう」とか「流雪溝が詰まったから一旦雪投げるのストップして」とかは必要な会話ですし。
結局、しゃべらず、イヤホンなどで閉じこもることもできず、ただただ白い曇り空の下で白い雪をすくっては投げすくっては投げしているわけです。これ自体はとくに何も生み出さない、やらないと道が埋まるしご近所の迷惑というか心配されちゃうからやるしかないの。
こう言うと雪寄せのことすごく嫌っていると思われそうだけど、好きとか嫌いとかないですね、やるしかないというそれだけ。生活の一部というか、自分の一部のように思っているんです。
雪を流雪溝に繰り返し投げ込んでいるうちに汗をかくぐらい身体はあたたまってくる。血液が自分の内側を巡っていることをはっきりと意識する。普段わたしはわざと身体をあたためないようにしているかもしれません。血の巡り悪い感じで、言いたいことを言わずにやり過ごす感じで、ぼんやりした人という評価に隠れる感じで、ひっそり生きてる。わざとそう生きてるんだよと自分に言い聞かせてる。
身体を動かしたり、誰かと会話したりすると、それをきっかけに自分のなかにもぐるぐる巡る思考が、血液が、存在することを、思い出しそうになって、それは危険なことだなと思っています。
何が危険なんだろう? わたしは自分にいったい何を禁じているんでしょうか。わからないけど、よくないことだという気がしている。
とにかくそれで脳内ラジオですよ。雪寄せしてる間、頭の中でひたすらこうして喋っています。誰にも聞こえないから別にいいかなって思っています。
*
午後三時四十分。今日は流雪溝作業の間じゅう、ぼた雪が降っていた。
「りんご食べていきなさい」
義父はりんごの「り」にアクセントを置く。はあい、と返事し、一旦自分の部屋で濡れた髪の毛を拭きTシャツを替えてから一階の居間に入った。りんごは既にきれいに剥かれていて塩水の味がした。
「干し柿も食べなさい」
干し柿は「が」にアクセントが置かれる。これは富有柿と書かれた透明なパックのまま出てきた。一つ取り出して、りんごの脇に添えた。
「お茶を淹れます」
「いいって」
断られたが、淹れた。お湯はポットに入っていた。義母が世を去ったのはわたしがここへ来る前のことだったが、お湯を沸かしておくとか仏壇にお水をあげるというような義母が日々行っていたことを、義父は一人になってもちゃんと続けているらしかった。
この部屋にはいつ来てもテレビが点いている。雪寄せの後にこうしてお茶を飲むことはたびたびあるけれど、音量が大きすぎるように思えてどうも落ち着かない。
この時間帯は大抵ワイドショーを流していて、スーツを着た男が急激な早口になったりここぞという時には一文字ずつ噛みしめるように発声したり、わざとらしく緩急をつけながら巨大なボードの前で何か悲惨な事件について説明している。ボードの上では真っ赤な矢印と黒に縁どられた黄色の文字が躍っていた。誰かの顔写真の上に大きな赤いバツ印が重ねられるのをぼんやりと見た。
そろそろ部屋に戻ります。買い物にも行かないと……。と言い訳しながら座布団から立ち上がると、みかんを持っていくように勧められた。「か」にアクセント。
「あんたには迷惑かけて申し訳ないと思っているけれども」
ふっくらして、台所の蛍光灯を跳ね返して光っているLサイズのみかんを次々に手渡しながら義父は言った。
「正幸のこと、あとそろそろ、気にしないでいいから」
六個ものいびつなつぶれた球体がわたしの腕の中でごろごろと身じろぎした。
「正幸は、あとここにいるの嫌になった、と俺さ言ってから出ていったもの。あんたが気にすることでない」
どうしていいかわからず、わたしは果実の表皮にうかんだ薄茶の斑点を数えるように覗き込んだ。
「あともう、好きなようにしていいと思うよ」
「ええ、でも……」
「雪寄せは人とこ頼めるもの」
はい、とうなずいて廊下に出た。数歩先、階段の手前で、ばたりばたりとみかんを次々に取り落とす。Tシャツの腹の部分をつまみ上げて広げ、そこへみかんを包んで抱えるとわたしは再び歩き出して自分の部屋に向かった。夫との間に子供が出来ていれば状況は違っていたんだろうか、とぼんやり思った。
*
今日は遅くなります。先に休んでいます。早めに出かけるので寝ていてください。顔を合わせたくないので別の部屋で休みます。等々。夫との日常的な連絡はLINEを使っていたのに、家を出ていくときにそれを使わずに手書きのメモを残したのには特別な意図があったのだろうか。彼なりの演出だったのかもしれない。
義父との会話は聞こえていた。
「鬱は治らねえって医者も言うっけもの」
正確には、聞こえたのは会話ではなく、夫が義父に懸命に何か訴えている所だけだった。
「薬飲んで必死こいて復職して、何たいいことあるって」
「……」
義父は返事をしているようだったが、わたしが立ち止まっている階段の途中からは聞き取れなかった。
「自分がどうなりたいかをいちばんに考えましょうって、病院でも言われたもの」
「……」
「ミナトさは、出ていく前にちゃんと話しする」
「……」
「わかったって。あともういいって」
夫が居間を出てくる様子だったので足音を立てないように階段を引き返し、その次の次の日に彼は出ていってしまった。
二階の、わたしたち世帯の居間のテーブルにメモ書きが残され、
〈君の夫を続ける自信がなくなりました。他の人のことが好きなのは判っています。君は認めないかもしれないけれど。
遠くで暮らして、自分を見つめ直したいと思います。どうか幸せになってください〉
などとあった。あったと思う。読みつつ、端から細く細くそれを裂いていたから、一度しか読んでいないのだ。
事務用の白い便箋だった。会社の備品を持ち出したのかな、と思いながら、A4サイズのそれを人差し指一本ずつの幅に裂いていって、細長い短冊の集まりになったそれらを重ねてちぎっていくと、テーブルの上にゆがんだ形の紙吹雪が少しずつ積もった。
*
同じ秋田県でもこんなには雪の降らない土地で育ちました。能代っていう、沿岸部の町に住んでた期間が長かったです。
雪っていうのは、降る量だけの違いじゃないですね。こうして横手に移り住んでみると。横手では電線に雪が積もります。二、三センチの厚さに積もってるんじゃないかな多いときは。
風が強い日が少ないのと、雪の質のせいでしょうね。能代ではそんな光景見たことなかった。あそこは古い港町で、風が強いです。昔は火事が多かったとも聞いたことがあります。吹雪の日が続いて、地面はよく凍ってた。
横手は吹雪がめったにない代わり、重たい、ねっとりした雪がどしどし積もります。電線に積もるし外に停めた車は一日で埋もれるし、家の屋根に積もった雪はたいへんな重さで家の中の扉がうまく開かなくなったりもします。空き家や使われていない倉庫が潰れますしガードレールや道路標識が折れます。
海から吹きつける風は能代あたりに降る雪をびゅーんって飛ばして、内陸まで持ってくる。横手は奥羽山脈のふもとにある広大な盆地なので山々にさえぎられて雪雲がとどまって、風はここへ来るまでに弱まって、重たい雪が次から次に降り注がれる。そういう仕組みになっているのだと思います。空の高い所から見たら、横手盆地を埋めるように雪雲が渦を巻いて集まるのが見られそうですね。わたしたちを吹き溜まりに埋めていく雪雲が。
空のすごく高い所から、たとえば宇宙船に乗った宇宙人が、どしどし降る雪に埋もれているこの町を見たら、何故こんな土地に地球人は住み続けているのかなって首をかしげると思うんですよね。宇宙人が地球人的なデザインの身体をしていて首の部分がある前提ですけど。
そこから、わたしが見えますか? どんなふうに見えますか。
やっぱり、雪に埋もれて見えないんじゃないかと思います。宇宙人にも。
*
夢をみた。
夕暮れ、自分の伸ばした手の先も見えないような吹雪の中で立ち尽くしている。こんな天気はしばらく見ていないから能代かなと考えていると、遠くにヘッドライトが光って一両編成の汽車が止まった。
乗り込むと車内は雑然としていて、りんごの木箱やみかんの段ボール箱が両端のあちこちに積まれ、中には古い本や写真のアルバムがでたらめな順番に入っている。天井からは干し柿がいくつもぶら下がっているが、それらは光っていて、照明の役割を果たしていた。
夫は車両の奥で、一人掛けのソファの上に膝を立てて体育座りの姿勢でいた。
「これ、作ったんだよ。よかったら食べて」
言いながら差し出してくる白い皿の上には三角形のサンドイッチがあった。
「具が入っていないのね。冷蔵庫にハムがあるのに」
そう指摘すると夫は怒り出した。
「バターと味の素が入ってるんだ!」
「冷蔵庫にチーズもあるのに」
「君のそういう所が俺を追い詰めた」
「きゅうりもあるのに……?」
電車は吹雪のなかを疾走しているらしく、窓の外では薄い闇に真っ白なかすり模様が斜めに流れ続けていた。
それが一転、窓々がこのときいっせいに液晶ディスプレイのような平板な光を放った。
見回すと、ディスプレイ化した窓は見覚えのあるテキストを下から上へと流し始めた。記憶のあちこちに埋めて隠して忘れようとしていたテキストたちを。
勤め先で撮られた写真がポスターになったときのネットニュースの記事。
〈秋田美人に会いに行こう! 冬の横手に「寄ってたんせ~」(観光案内所・Мさん)〉
ツイッターに書きこまれた知らない人たちの言葉。
〈リプライに全く返信しないってどういうことですか? 注目されたかっただけ?〉
〈ていうか旦那が出てったのってこの人が原因でしょ〉
〈観光ポスターの画像発見、ツイ主では〉
テレビのワイドショーで解説ボードに並んだ文字。
〈死にきれなかったので遠くへ行った、などと供述〉
〈身勝手としか言いようがない〉
手紙。
〈他の人のことが好きなのは判っています〉
〈高校の先輩の女性ですよね。君はその人の話ばかりしていた〉
メッセージ。
〈久しぶり。元気?〉
〈大丈夫?〉
〈おーい〉
〈ミナト?〉
テキストを流しつくしたらしくディスプレイは電源が切れたかのように沈黙した。
〈ミナト?〉
最後に表示されたメッセージだけが一瞬表示されて、消えた。
そして電車が急ブレーキをかけて停止した。干し柿のライトが揺れながら点滅する。
「あと、もう、よくない?」
車内放送のスピーカーからそんな声が聞こえた。
「あと、もう、よくない?」
開いたドアから外の夜へ飛び出すと、無人駅のホームに除雪が追いついていなくて積もるままになった雪の山で膝から下をぶつけて前のめりに倒れた。積もったばかりの雪が波しぶきのように跳ねて、背中まで包むようにかぶさった。
冷たくはなかった。かさかさとこすれ合う音がしていて、紙みたいだな、紙吹雪かな、と思いながら、わたしはホームの雪に埋もれていった。
*
うたた寝のソファから落っこちていた。
目を覚ましてから、車内放送の声はツバメさんだったと気がついた。ハイエースを見たことがなかったので、四角い大きな車を想像しているうちに、電車を思い浮かべるようになったのだろう。そう思って、立ち上がりながら少し笑った。
時計を見るともうすぐ午後三時。外にはもう義父が出て、流雪溝の蓋を開け、水が流れはじめるのを待っている頃だった。
三時ちょうどになったら自分も外に出よう。軽く伸びをして、水を飲むために台所に向かった。先のことは雪の季節が終わってから考えようと思っている。
おわり
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