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Vtuberは現代の貴族仮説
Vtuberアイドル化の背景
ホロライブの成功をきっかけに、Vtuberは急速にアイドル化が進みました。アイドルという存在は、その人気と引き換えに清廉性を求められ、いわば「偶像」として扱われることが前提となります。ファンも、いわゆる“神格化”された姿を期待するので、Vtuber本人も理想的なイメージを保つことが求められがちです。
「Vtuberも人間」という主張
ところがいつの頃からか、法律や裁判を持ち出して「Vtuberも人間である」という“人間感”を前面に押し出すようになりました。アバターとしての魅力を楽しむリスナーにとっては、これがやや戸惑いの種になったようです。「偶像」としての側面を強く求めていたファンにとっては、“生身の人間らしさ”を感じさせる発言は、称賛や応援以外のリアクションを取りづらくなりました。もちろん「嫌なら離れればいい」という選択肢があるものの、簡単に離れられないのがファン心理というものでしょう。
つまり、「現実的な問題に踏み込まないでほしい」「あくまで理想の世界を見せてほしい」という思いと、「でも実際には人間なんだから当然の権利はあるはずだ」というリアリズムとのあいだに、微妙なズレが生じやすいのです。
Vtuberの“貴族化”と下層民の立場
最近では、Vtuberがまるで“貴族”のように扱われるようになっています。実力の有無にかかわらず、人気さえ出れば問答無用で称賛される立場になり、配信者たちは内輪だけで交流できるゲーテッドコミュニティを形成しています。ここにはVtuber同士や配信者しか入れず、一般のリスナーは外から眺めることしかできません。
一方、テクノロジーの進化によって、素顔を明かさないまま多額の収益を得られるようになり、プライベートも守られやすくなりました。こうした“見えない壁”があると、自然と外側にいる人々との間に上下の意識が生まれやすくなり、いわゆる下層民に対して無自覚な差別や軽視が表面化してくる可能性があります。
ペットの権利と貴族化の象徴
貴族化現象を象徴する一例として、ペットの権利を過剰に優先する動きが挙げられます。もともと動物保護や権利拡大は悪いことではありませんが、下層民の顔が見えなくなった貴族にとっては、人間よりもペットの方が大切という意識が生まれてしまうことがあるのです。これはVtuberに限った話ではなく、歴史を振り返ると、社会の上層にいる人々が下層民の声に耳を傾けず、動物など別の存在ばかりに意識を向けてしまうケースは何度も見受けられます。そして、そうした構造が行き着く先は、たびたび革命や社会的な変動を引き起こしてきました。
今後起こり得る「革命」、それとも
こうした状況がさらに進めば、歴史的にたびたび見られたように、大きな反動や“革命”と呼ばれるような社会的変動が起こる可能性があります。これはVtuber界に限った話ではなく、どの時代でも上層と下層の乖離が極端になると、いずれは暴動や革命のような形で是正がはかられてきたのです。
もっとも、現代ではSNSなどのプラットフォームが普及しているため、過去のように急激な暴力的革命ではなく、ネット上のムーブメントや新たなサービスの登場によって“平等化”が進む可能性もあります。Vtuberを取り巻く技術や社会の変化が、別の形で格差を埋める仕組みを生むかもしれません。