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今、子どもたちに一番必要な先生
赤いきつねの炎上にちょっと共感できてしまう
最近、カップうどんのCMが炎上しているらしい。
最初は「またツイフェミさんが騒いでるのか」と思いましたが、実際に動画を見てみると、少し考えさせられる部分がありました。
CMでは、登場女性の頬が上気し、色っぽい描写が強調されています。アニメ好きならすぐに気づくような表現ですが、個人的には「まあ許容範囲かな」と思った程度でした。
ただ、これを他の例で考えてみると、少し違う見方ができることに気づきました。
例えば、YouTubeでよく見かける「ギリギリのエロを狙ってくる動画」。正直エロは好きですが、私はYouTubeには求めていません。
作業中にふと目に入ると、一気にそちらに意識が引っ張られてしまう。これが毎回となると、鬱陶しさや不快感が増してきます。
YouTubeはこうしたコンテンツを規制していますが、エロ系youtuber/Vtuberがyoutube機能をハックしてエロ釣りしてくるテロみたいな手法なので始末が悪いです。私は目につくたびに、一種の怒りを覚えるようになりました。この感覚は、滝川ガレソ等が取り上げる炎上ネタや、迷惑系YouTuberの動画を見かけたときと似ています。
誰も議論する気がない
絶望的なのは「性的な表現の線引き」について誰も真剣に議論する気がないことです。議論とは、お互いの意見を積み上げるものであり、相手を叩き潰すことではありません。しかし、ツイフェミを叩いている人たちもまた、自分の不快なものを排除しようとしているにすぎません。同じ行為の応酬になっているのです。
アニメ好きなら、女性を魅力的に描く技法が少女漫画から始まり、日本の漫画やアニメで磨かれ、世界の最先端にまで発展してきたことを理解しているはずです。そして、それを作る側も見る側も、その表現が好きであり、誰かに揶揄されようとも今日まで貫いてきたはずです。
しかし、今回のCMに対する反論を見ると、そうした歴史を簡単に投げ捨てているように感じました。「エロじゃありません」「何も違和感ありません」「あなたは頭がおかしい」といった単純な否定で片付けようとする人ばかり。
彼らは自分の感情を無視していることに気づいていません。
自分の感情を無視するな
ツイフェミの「エロ表現が嫌だ」という意見に反論したいなら、知性を持ち、言葉を尽くして議論すべきです。エロという言葉だけでなく、色っぽい・艶っぽい・あどけないなど、日本語にはさまざまな表現があります。
しかし、多くの人は、目の前の不快感を叩き潰すことを優先し、自分の感情に名前をつけることを放棄しています。結果として「キショイ」「頭おかしい」といった単純な言葉で片付けてしまうのです。
まず、自分が「これは良い」と思える感情に名前をつけること。それが、自分自身を大切にする方法でもあります。
少年院の子どもの特徴
少年院の先生をしていたVtuberのかなえ先生という方がいます。
少年院の子どもたちは、語彙力の貧弱さゆえに「キショイ」「キモい」「死ね」しか言えず、それが不要な喧嘩や暴力を生み出しているという話が紹介されています。
もし、彼らがもっと自分の気持ちを表現する選択肢を持っていたら、相手との理解が深まり、喧嘩を避けることができて、その子は少年院に入らずに済んだといいます。
私はこの話を聞いてなるほどと膝を打ちました。
この話は、まさに今のSNS上での議論のあり方に通じるものがあります。
相手の意見を「キショイ」で片付けず、自分の意見と何が違うのかを言葉にしてみる。自分が好きなものは何か、自分は何を感じているのか、それらを素直に言葉にしてみる。
それは確かに時間のかかる作業で、面倒かもしれません。でも貧困な語彙で不快感に当たり散らし、いいねの数を稼ぐことよりも、ずっと自分を大切にすることだとかなえ先生は教えてくれます。