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023 「Ya◯oo Newsのコメント」について

Ya◯oo Newsには、あるニュース記事について、それを読んだ者がコメントできるようになっている。これがなんともおもしろい。
何がおもしろいのかというと、ひとつのニュースについて一気に数十、数百のコメントが付くのだが、そのどれもが表現こそ違え、だいたい同じことを書いている、ということだ。他の多くの人が書いていることとほぼ同じ内容のことを、さも自分だけは他とは違う「独自の視点」で書いている、という気持ちを勝手に妄想するとおもしろくなる。嫌な性格。ぼく。

さて、その「ほぼみんなが同じことを書いている」というコメントには、当然のことながらあるひとつの傾向がある。数十、数百の人がほぼ同じようなことを書いている、ということは、集団の中から生まれたある仮想的な人格の意見、と言いかえることもできるだろう。そのコメントの傾向はだいたい以下のとおりだ。
 ・ちょっと(かなり?)右寄り
 ・基本的に「弱者は切り捨ててもしかたがない」という立場
 ・「自己責任」を重んじる

ぼくはこのような考え方について、どうこういうつもりはない。ただ、これらをひとことで言ってしまうと、「やさしくない」ということだ。
たとえば、ちょっと前のニュースで言えば、「中東で日本人がISの人質になった」というニュースがあった際、「それは自己責任だから仕方がない」だとか「国は我々の血税を使って身代金を払うのはおかしい」という意見で埋め尽くされていた。数十、数百のどのコメントも概ね上記のいずれか、あるいは両方を言っていた。

本当にその場をおもしろくしたいのであれば、その数十、数百が言っている同じようなことと正反対のことを主張する、という人が現れればいいのだろうけど、そうならない。たとえそれが自分の本心でなかったとしても、そういう意見をその異様な場に投入することで、みんながより深く考えることができるだろうに、と思うが、そもそもその「異常な場」は思考停止に陥っている場なので、深く考える土壌というものができあがっていないのだろう。

みんなが同じことを言っているところに、わざわざ自分が同じことをさらに書き加えよう、と思うモチベーションは何なんだろう?と不思議に思う。そして、数十人、数百人が一斉に同じことをコメントすることでそこに立ち現れる仮想的な人格というものがなんとも不気味だ。


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