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佐賀陰謀論-佐賀七賢人

鍋島直正(なべしま なおまさ)
佐野常民(さの つねたみ)
島義勇(しま よしたけ)
副島種臣(そえじま たねおみ)
大木喬任(おおき たかとう)
江藤新平(えとう しんぺい)
大隈重信(おおくま しげのぶ)

 学生時代に日本史を選択した人でも佐賀七賢人は初耳ではないでしょうか?佐賀八賢人という考えも最近はあるようだが、先述したさが幕末維新博において、正式には佐賀七賢人だ、という立場で開催をしていましたので、ここでも佐賀七賢人で話を進めたいと思います。

簡単に佐賀七賢人をわかる範囲で紹介したいと思います。

■鍋島直正(なべしま なおまさ)
 第10代肥前国佐賀藩主。日本初の反射炉の建設、アームストロング砲の国産に成功、日本初の蒸気船「凌風丸」の造船など西洋の科学技術、軍事技術の導入を積極的に行った人物。

■佐野常民(さの つねたみ)
 最も有名なのが博愛社病院の開設。のちに博愛社を日本赤十字社と改称し、初代社長に就任。要するに日本赤十字社を作った人。

■島義勇(しま よしたけ)
 どうしよう、読めない。
 江藤新平と共に佐賀の乱を起こし、敗れたのち、斬罪梟首となる。それくらいしか情報が拾えない人。

■副島種臣(そえじま たねおみ)
 マリア・ルス号事件で大活躍。助けを求めてきた中国人奴隷を解放したことで、正義人道の人として支持される。明治7年には板垣退助らと愛国公党へ参加するも自由民権運動には参加しなかった。このあたりが有名になれない理由なんだろうと個人的には思いますが、第1次松方内閣では副総理、内務大臣を務めているので優秀な人だったと思われます。

■大木喬任(おおき たかとう)
 また、またどうしましょう、読めない。東京府知事を務めたり、民部卿、文部卿として学制を制定したりと地味に活躍した人。

■江藤新平(えとう しんぺい)
 試験勉強としての日本史では若干マニアックな問題に登場する人。戊辰戦争では東夷大総督府軍艦に任命。
 このあたりがマニアックな出題になるところだと思います。江戸開城後、江戸を東京と改称すべきことを献言した人でもあり、今日の「東京都」は江藤新平あってのことかもしれません。
 現在の犯罪者の指名手配は写真基本であるが、当時は似顔絵だったそうです。江藤新平は写真手配制度を確立し、指名手配写真を全国へ手配するというシステムを確立しました。しかしその後、佐賀の乱の首謀者が全国へ指名手配される際、江藤新平が写真手配制度の被適用者第1号となったようです。

■大隈重信(おおくま しげのぶ)
 やっと知っている人に出会った感じです。ただ、大隈重信が佐賀出身であることを知る人は少ない。言わずと知れた元内閣総理大臣であり、早稲田大学の創設者、初代総長です。

 佐賀七賢人を非常に簡単に紹介しましたが、おそらくは江藤新平と大隈重信以外は初耳に近いのではないかと思います。
 そして、江藤新平、大隈重信ともに佐賀出身であることは「知らなかった」という人が大半じゃないかと思います。
 江藤新平は、維新十傑にもあげられる人物であり、近代日本の司法を整備した第一人者です。正義感に溢れる非常に頭の良い人だったという言葉が当時の要人の多くから語られているそうです。
 四民平等が実現したことも江藤新平の働きが大きいと言われており、三権分立を主張したのも江藤新平が初めてということです。ただし、当時は行政=司法が一般的であり江藤新平の主張は通らなかったそうです。
 新しい日本の制度を作っていく人物は江藤新平。当時はそう思われていたようですが、その人々の江藤新平に対する尊敬の念は大久保利通の激しい嫉妬心を生みます。
 江藤新平vs大久保利通の構図が生まれます。
 佐賀の乱の際、江藤新平は話し合いの解決を提言するため佐賀に戻りますが、大久保利通は佐賀に対し追討令を出します。この時、まだ佐賀の乱は起きておらず、爆発寸前の佐賀士族の不平不満が高まっていたに過ぎない状況にも関わらず出た追討令。江藤新平は大久保利通のケンカを買う形で佐賀の乱の首謀者となります。
 結果的に武力差は歴然としていたため、そうそうに勝ち目が無いと悟った江藤新平は鹿児島の西郷隆盛を頼ります。しかし、西郷隆盛の助力を得られなかった江藤新平は高知で捕らえられ、満足に裁判も受けることが出来ないまま、斬首、晒し首となります。
 さらに大久保利通は、この晒し首の写真を取り全国的に配布したと言われています。

 今回は、佐賀陰謀論というよりは、普通に「佐賀七賢人」について話しました。最後まで読んでいただいたらわかるように、この(全国的には)無名の「佐賀七賢人」は非常に今日の日本に貢献しており、高知の坂本龍馬や鹿児島の西郷隆盛と同様に、全国的に佐賀の○○という知名度と一定数のファンがついていてもおかしくない、そんな偉人が含まれていると思います。

 しかし、そのような雰囲気は日本には無く、さらに偉人のイメージの中に「佐賀」というイメージすら無いというのが実際の姿です。
 佐賀には早稲田佐賀中学校・高等学校があります。なぜ佐賀にあるのか?すら一般的には「不明」です。

 普通に歴史探究を行うだけでたどり着く「なぜ、佐賀はここまで認知度の低い県になったんだろう?」それが佐賀陰謀論です。

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