そこに遊び心はあるのか?
先日、中村さんと為末大さん著『熟達論』について話した。
人はどうやって熟達するのか?を自身だけでなく、一流の選手にインタビューをしていき考察した一冊。
具体的なエピソードが面白く、なんというか刺激的だった。
遊から始まる
熟達論では、5つのプロセスを経て、人は熟達をしていくと紹介されていた。
特に印象的なのは、遊から始まること。
遊びは、覚えるものではなく、ついついしてしまうもの。
おもしろくて、不規則性のあるものだ。
仕事にしても、スポーツにしても、好きでたまらない人には敵わないことの方が多い。
一般的には、努力と言われそうなものも、本人のなかでは面白くて努力とすら感じていないからだ。
ぼくの場合は、トレイルランはかなり近い感覚がある。
レースは楽しいのは、もちろんのこと、知っていったり走るたびに発見のあるものだから、飽きない。
誰かから強いられることなく、自らやってしまいたくなる気持ちがあるものを選んだり、工夫をすること。
そこからスタートしていくと、物事が例え、うまくいかないことがあっても楽しめるようになり、長期的に観ると遠いところまで行ける気がする。