【やさしさってなんだろう?】
どうも。書くメシU30'sの西嶋(@ultrarunnerman)です。
昨日は、久しぶりに鳥取に行って引っ越しの荷詰めしてました。昨日の夕方頃から車で6時間ほどかけて福岡に戻ってきました。
鳥取での暮らしは1年10ヶ月という短い期間でしたが、たくさんの人から支えてもらいました。家族のように迎い入れくださり町に育ててもらいました。
用瀬という町に暮らしていたのですが、ときには野菜をカゴいっぱいにいただくこともあれば、冬は雪かきの仕方を教えていただくこともありました。
すれ違うたびに声をかけてくださり「またいつでも待っとるけぇ」と声をかけてくださいました。やさしさに溢れているなと感じています。
そしてそのやさしさのおかげで、縁もゆかりもない場所で孤独を感じることなく豊かに暮らせることができたと思っています。
じゃあ、そのやさしさって何だろう?てことを考える今回のテーマ。みなさんは、やさしさってなんだと思いますか?
ふと、デンマークへ福祉の視察をしに行った時のことを思い出したので、その時のことを振り返りつつ綴っていきます。
デンマークで触れた「やさしさ」
私は見知らぬ土地デンマークで迷子になったことがあります。不覚にもiPhoneの充電が切れてしまい、頼りになるのは地図のみ。23時の時間帯ということもあり、お店も閉まっていました。
そんなときに本当に出会ったのが、本当にたまたま犬の散歩をしていた女性。時間も時間なので迷いましたが、声をかけて道を尋ねると親切に教えてくれただけでなく、「送っていくよ!」と言って、一度家に戻り車で目的地まで送ってくれたのです。感謝を伝えたくても「Thank you」以外の言葉を見つけきれないことが悔しいほど嬉しい気持ちになりました。
その女性は、やさしくしようなんてことは思っていなかったでしょう。困っているから助けた。ナチュラルな感じでした。
もしも同じような立場の人がそうしたいなって思えたんですよね。この場合のやさしさって親切という言葉に置き換えられそうな気がします。
親切について
相手の身になって何かをする。
これは自分に余裕がない状態でなければ、難しい。例えば道を尋ねられたタイミングが職場に急いでいる場合。皆さんだったら、困っている人を優先させることができますか?それでも優先順位で困っている人を助けることのほうが大事だと思っている人であれば、案内するでしょう。
ただ、強い意志がなくても仕組みを変えることでやさしさは作れることがあるのかもしれません。
福岡・博多の駐輪場は地下にあります。そのため路上では自転車でとめてあることは少ないため高齢者や車椅子移動をする方には「やさしい」環境になっています。
人によって「やさしい」の捉え方は違う
また何がやさしいと思うかも、それぞれの立場によって違いますよね。
デンマークの話に戻りますが、日曜日は首都以外の都市だとお店が割としまっているんです。観光する人のなかにはやさしくないよね。と思う人もいるかもしれません。逆に日本のコンビニなんか毎日24時間空いているのですから、消費者にとってはやさしいと言えるでしょう。でも、労働者側からするとどうでしょうか?
デンマークでは、家族の時間を重要視している人が多いので、それで十分なのです。最初からそうなっていたわけではなく、話し合いを重ねた上で地域でそういった決断に至ったのでしょう。
税金だって25%。中には、納得できていない人もいるでしょうが、それでも必要な人に必要なお金が行き届くような国を目指しているので、うまく分配されていくことに満足している人は多い印象でした。納得していない人でも結果的に税金を払い、「やさしさ」の循環に貢献しているのです。
「やさしい」は人の立場によって変わるものも多く存在するということですね。だからこそ、それぞれが主張しあい、その妥協点を探ることが大事な気がします。
電子マネーも同じご年配のかたでも、「わざわざ銀行にも行かなくていいし、私たちにやさしいサービスだ!」と思っている人もいれば、「お店で現金が使えないなんてやさしくない」と主張している人もいるわけです。
そういったなかで何を重視するかを決めていくことが、地域や国でみたときに考えていく必要がありそうですね。
おわりに
なんだか「やさしさ」というキーワードから連想したものを書き綴ったような記事になってしまったので、改めて整理したいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。