金曜ロードショーでパラサイト観ました
帰宅して真面目に見もしないテレビを垂れ流していると、金曜ロードショーが始まった。
あぁ、この感じ懐かしいな、映写機おじさんがリストラされて何年経ったんだっけ?などとぼんやり眺めていると、狭い窓からの風景が流れ、ハングル文字でキャスティングが表示されていく。
ここで気付いた、あ、これ何年か前に話題になっていた韓国の半地下生活をしている家族を描いた映画だ!
そう、題名はパラサイト。流されるまま、僕はパラサイトを観た。
そして、以降にその感想とネタバレを記す。
僕はあまり映画を観ていて不快感を覚えるタイプではないのだが、パラサイトは観ていて強烈に不快感のあるシーンがあった。
それはキム一家とムングァン一家が言い争うシーンだ。
この二つの家族は同じ穴のムジナであり、パク一家に寄生している寄生虫だ。
しかし、互いが互いの立場を理解しておきながら、歩み寄るとか妥協することなどなく「お前が出ていけ」という態度で家から追い出そうとする。
勿論、一つの家族が寄生している状態ですらリスキーであるため二つの家族が一つ屋根の下(正確にはムングァンの夫だけ地下シェルターに住む)というのは考えればすぐ破綻しそうなことが分かる。
だが、それにしても自分達が弱者であることを理解していながら、少しでも相手の優位に立つと他者を排斥してしまうのは、演出上わざとやっていると分かっていても不快だった。
これに対してお前は恵まれているからだとか、地下生活をしていないからだ、と言われたら「はい、そうです」と答えるつもりだ。僕はブラジルに住んではいない。
そして、不快なものは不快だし、理解しあえる存在がお互いを排斥しあうんじゃないよ、というスケールを大きくすると人類そのものが持つ断絶を見せつけられるのは分かっていても辛い。というか、演出でも必然性を感じなかった。
一家に一家族しか寄生できないとしてももっと穏便に妥協しあえなかったのか?という気持ちになってしまう。まぁ、そもそも人んちに寄生するなという話ではあるのだが。
パラサイトは恐らく貧困や苦しい生活を強いられている人々に注目しなければならない提議的作品であるとは思うんだけど、じゃあ何で貧民サイドを悪者に書くのかって疑問が出てきて、恐らくこれは地下組の人間が良い人だと単なる悲劇として捉えられて「可哀想」で思考が止まるからだと考えられる。
悲劇は強力な感情麻痺効果がある為、あえて悲劇ではない自業自得を地下組に持たせたと思う。
でも、そうなると特に何も悪いことしてない地上サイドが本気で可哀想
しかも良い人なのにあえて悪く描かれてて可哀想さが凄い。
これも演出で地上に住むパク一家はけして下を観ないし、階段を下りるシーンがない。徹底されている。
まるで韓国社会は生まれで全てが決まっている、とでも言いたげな表現だった。
そして、ずーーっと、そういう天秤が傾いたまま映画が進行して傾いたまま終わるからカタルシスとか納得からはかなり遠い。
マイナスから始まった物語がマイナスのまま終わる所か、これ多分キム一家とパク一家が出会わない方が世界の幸福度が高い為、何もかんもミニョクが悪いという極論すら僕の中から出てくる。
しかし、そんな歪な映画が何でこんな話題になったのか、流石に僕のストライクゾーンから外れていても共感している人がいなければ作品に対する大きな称賛はもたらされないだろうと思い、調べてみた。
キム家の大黒柱ギテクとムングァンの夫であるグンセが台湾カステラの事業に失敗した、という説明が作中であるのだが、これが実は韓国では台湾カステラが大ブームになり、しかし、TVでのデマにより一気にブームが去ってしまい、実際に負債を抱えた家族がいる、そういった社会事情があることが分かった。
つまり、台湾カステラの事業を展開した彼らに全くの落ち度がなかったとはいえないが、社会およびマスメディアによって重圧を受け、その結果として社会そのものから追いやられてしまったこととなる。
これは確かに不条理で怒りを覚える。彼らの責任もあるが、社会という弱者の受け皿を担うべき存在が弱者を作り出してしまっているのだから、恐らくきちんと韓国の社会事情を理解していれば、二つの家族の見え方は変わってくるだろう。
さらに、韓国は日本よりも遥かに受験と就職競争が厳しい世界だと聞く。僕はパラサイトを観た後にかつての恩師が「韓国では孫の入学試験に祖父が靴を持っていき履かせる」と言っていたのを思い出した。
にわかに信じがたいが、受験生に対して本来、敬われるはずの目上の人間ですら召使のように振る舞うほどの価値を見出されているということだ。
また韓国では法律や司法の資格の価値も高く、僕は見落としていたが地下シェルターにて資格試験用の本が映っているらしい。
これも合格するのが大変厳しく、長い時間をかけても報われない現実を婉曲的に示しているとのことだ。
パラサイトを日本で放映するにあたって、恐らく予備知識もなくエンターテイメントとして観に行った人は得体のしれない不気味さ、不快感を抱いたのではないかと思う。
僕がまさしく金曜ロードショーを観終わって、この作品が何故ここまで他者との隔絶、富める者の優位性、その天秤の傾きを不条理に描いているのか不思議に感じていたように。
その結果、これが一時の記憶や感情であるかもしれないのだが、韓国社会の在り様を調べて知ることで韓国だけではなくアメリカ、日本にも起こり得る”断絶”の話であることが理解できた。
作中で描かれている人たちはフィクションであるが、観ている人は彼らを通じて、否応なく今の自分が上か下かであるかを意識させられることになる。
大黒柱を失ったパク一家はあれから階段を下っていくだろうし、酷な言い方をするがキム家の父ギテクは陽の当たる階段を上がることはもうないだろう。
ムングァン一家もムングァンが死に、グンセという夫を失った。
これは三つの家族が崩壊していく様を描いた映画であり、どの家族も「父親(夫)」という像が欠落している。ここを紐解けば、また何か分かるかもしれない。
ここまで書いておいて何ではあるが、パラサイトを純粋なエンターテイメントとして楽しめる人間とは友達になれそうにないな、と思った。
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