「Cry」には「叫ぶ」という意味がある「ガールズバンドクライ」の感想
ガールズバンドクライ。最後に尻上がりに面白くなっていくアニメだった。ピアノの音が入ってるロックソングって好きだからどの曲も大好きになった!「cry」には、泣く以外にも叫ぶという意味があって、叫びに近い心の声を歌う曲はどれもロックだった!仁菜の声はかなり印象的!最高!
オープニングの「雑踏、僕らの街」も、アコースティックとかあったら格好良いだろうなと思っていたら曲中にピアノバージョンが何度も出てきて、もっと好きな曲になった。
殴り書きのような感想ですが、よかったら見てください。
東京に存在する孤独の集合体
本来なら、ダイヤモンドダストみたいなバンドがメインキャラでも良かった。ボーカルの子にもバックグラウンドがあるし、桃香がバンドに戻るという展開にすれば、高校から続くガールズバンドの復活として一つのストーリーが出来上がる。ビジュアルも良いバンドが描かれがちだけど、そうじゃないのがトゲナシトゲアリの良さ。もちろんビジュアルも曲もいいのだけど。
仁菜が予備校に通う設定要るかな?って思ったけど、全員が地方出身、そしてバラバラの都道府県、年齢も違うという全員のプロフィールを見て、東京に集まる理由が詰まっているのかなって思った(意外にもすばるも兵庫県出身だった!)。東京の生活を描きたいからこそ、地方出身者にこだわったのではないかと思う。そもそも、人は様々な理由で東京に集まる。メンバーも例外じゃない。でも、やりたいことがあるからこそ、孤独になる。桃香はやりたいことが明確であるが故に孤独になる。仁菜はやりたいことも、やっていることも不明瞭で、衝動的に生きているからこそ孤独になる。ルパと智は、才能があるからこそ一定の評価は得られているものの、バイト生活の中でキッカケを見つけられずに孤独になる。すばるは、やりたいこととやらなきゃいけないことが明確だからこそのジレンマがあり、本音を抱えたまま見た目の華やかさ以上の孤独がある。孤独が集まって出来たのが、トゲナシトゲアリ。
仁菜も反骨心の塊で、喧嘩シーンが本当に多かった。「紛れもないロック」だと桃香は評価しているが、すばるは「ぶつかり星から生まれた」と揶揄する。だからこそ熊本に帰ってからの家族とのシーンには胸を打たれた。ルパは「思っているより時間やキッカケはないものですよ」と後押しする。姉の「ありがとう。生きててくれて」のシーンは何度見ても涙が出る。幸せを願うことも愛だけど、不幸でないことを願うのも愛。後者は気付かれにくい。衝動的で喧嘩腰な仁菜だからこそ、このシーンの感動があったと思う。上京した時よりもずっと明るい顔で東京へ来た仁菜。そして、それを迎える仲間がいる。仁菜にとって東京は、そういう場所へ変わった。
(個人的にオールウェイズ三丁目の夕日のシーンを思い出した。父が危篤と聞く。小説家志望を反対していた父に会わずにいた茶川は、「会わないと絶対後悔するから」という言葉に後押しされて実家に帰る。すると父は陰ながら応援してくれていたことを知る。「もっと早く言えよ」と言いながらも、父の最後を見届ける。何か決着のついたような顔で自宅へ帰る。)
それぞれのメンバーに目を向けると、ルパの底なしの優しさは、無感覚から来るものなのかなと思う。悲しみの底についた虚無。生きているのなら揉め事もアリという態度にも思える。ルパの目の前に起きる全てのことは、生き生きとしたメンバーたちの姿。それがなにであれ。大好きなお酒が感覚を鈍くさせている訳でもなく、天才的な才能が余裕を生んでいる訳でもなく、本当の悲しみを知っているからこそ目の前の幸せを大切にできる人なんだろう。昔のルパが長髪だったのが印象的だった。改革のつもりでショートヘアにしたのかな。智の賃貸保証人でもあるルパは親のような存在だった。「未来のことは分かりません。私の好きだった人はもう灰になってしまいました」と言うルパに、「私がいるでしょ」と答える智も家族のような関係。
同じように智も、才能があるからこそ孤独だった。過去の栄光である表彰状を燃やしている姿が無表情だったのは、理想が高過ぎるが故に自分が周囲に馴染めず孤立する未来を幼い時から理解していたのかもしれない。母親の不倫を目撃した時も、愛の欠落みたいなものを感じていた。高校を退学するほど自立したいという意志が堅かった。母親は「別の生き物みたいだった」と。ペットを信頼している理由は、信頼できない人間という生物と距離を置きたかったからかもしれない。飼っていた爬虫類のケースの中にあった卵をじっと覗くシーン。どこかで自分の殻を破ってみたいという欲求もあった。というより、殻にこもった過去の自分を受け入れたくて、ペットに対して「飲み込まないと死ぬわよ」って言ったのかも。そんな智を理解していたのはすばる。「臆病だけど、近づくとガァー!」という性格は、仁菜に似ているとさえ言う。智がついた嘘に仁菜が真っ先に反応できたのは、すばるの言葉で智のことを少しだけ理解できたからだと思う。それに対して殻にこもったままの智。仁菜に対して言った大きな声の「へたくそ」の後、自分にだけ聞こえる小さな声の「へたくそ」は、確かに自分に向けて言った言葉だった。相変わらず上手く指摘ができない智だけど、桃香をはじめ今のメンバーは分かってくれた。
すばるは、「みんなの背中を見て頑張っている」というドラマーの言葉を聞いて自分の役割を知った。祖母への説得も、「役者ではなくてやりたいことがある」とだけ言ったが明らかに説明が足りなかった。それでも、フェスの演奏を見せたことが十分な説明になった。誰よりも未来が約束された絶対的なレールを外れたすばるは、最も覚悟が必要だったと思う。トゲナシトゲアリを最初から支えていたのはすばるだったのかもしれない。仁菜はバンドを始める勇気がなかった。桃香はいつ辞めてもおかしくないくらい不安定だった。智とルパが加入してからも既存メンバーと対立しそうになる。その中ですばるだけが、メンバーの輪を保つための余裕があった。
「トゲナシトゲアリは本当に正しかったのか?」という疑問
トゲナシトゲアリとダイヤモンドダストの対立構造は、最初の桃香がそう思っていたように、そこまでこだわる必要あるかなって思ったけど、フェスで観たダイヤモンドダストの曲があまりにも格好良くて、見てるこっちも競争心を掻き立てられた。キーボードがいない分、むしろこっちの方が正真正銘なロックバンドにすら見えた。悪評を覆すというダイダスの気概もまさにロック。あのルックスのままで完全なロックソングを作ってきたおかげで、視聴者としても「もし桃香がここにいたら」とか、「売れるにはダイダスを超えていかなくてはいけないんだろうか」といった桃香の葛藤に触れることができた。そして、仁菜と同じ目線で考えさせられた。それは、「トゲナシトゲアリは本当に正しかったのか?」という疑問。ダイヤモンドダストが終始巨大な存在でいるおかげで、最後の最後まで疑問が解決されない感じがずっとハラハラさせてくれた。
「間違っていなかったと証明する」という言葉で始まったフェス。「空白のカタルシス」で分かったのは、トゲナシトゲアリには孤独を克服したいという主張があること。ダイヤモンドダストのようにパッケージ売りされたバンドではなくて、やりたいことがあって、それが不幸にも孤独に繋がってしまったはぐれ者たちが集まったバンド。曲の歌詞自体は虚無や無力を歌っているように見えるが、「ひとりぼっちの怒りも無くした喜びもウソの哀しさもこの歌に全部全部ぶちこめ」た今までのトゲナシトゲアリを象徴した歌だった。
最終話。プロになってから少しずつ軸がブレていく自分たちに気付いていた仁菜。そして、どうしてもダイダスと対バンがしたいと主張を貫く。仁菜にとっての初心は、「仁菜が好きだったダイダスが間違っていなかった」と証明すること、「桃香の音楽が正しかった」と証明することだった。だから、仁菜はあれだけダイダスとの対バンにこだわった。仁菜のような猪突猛進タイプの人間が桃香には必要だった。一度失敗を学んでしまった桃香は、その失敗がどれだけ自分を蝕むか知ってしまった。だから、失敗そのものを恐れる気持ちを持つと同時に、トゲナシトゲアリが同じ失敗によって崩壊することを恐れていた。過去の経験が勇気を奪った。それを仁菜が補った。救われた仁菜が、桃香を救った。桃香だけでなく、メンバーのそれぞれが、実力があるのに孤立がそれを無力化していた過去がある。でも、このバンドはその孤立のおかげで生まれた。それをメンバーが理解したのが、フェスでの「空白のカタルシス」のパフォーマンス。みんなが自分の退路を断ってこの曲に辿り着いた。
そもそも、仁菜が上京するキッカケになった「空の箱」には、「正解は無いんだ 負けなんて無いんだ あたしは生涯 あたしであってそれだけだろう」と歌詞がある。仁菜はダイヤモンドダストを敵対視していたが、納得する結末が勝ち負けを決める競争の中にあるのかは気付いていたはず。
その答えは、最後の「運命の華」にある。
「ダイヤモンドダストは正しかったのか?」という疑問
「私に残った人生 君と歌っていくこと」と、「過ぎ去った日々には もう戻らない 戻りたくもない なりたかった あの日 超えてゆけ なれなくてよかったんだ もっと君と笑う 明日が見たい 運命なんだ」には、桃香が過去を克服し、現状を受け入れたことを意味している。終始、「桃香がいないダイヤモンドダストは正しかったか?」という問いがあったが、桃香はそれに答えを出した。「消えなくてよかったな だって君と出会い 芽吹いてしまった 運命の華」の歌詞には、桃香に救われた仁菜の想いと、その仁菜に救われた桃香がいる。「仁菜の歌声が好きだ。ひんまがりまくってこじらせまくって、でもそれは自分に嘘がつけないからだろ?弱いくせに自分を曲げるのは絶対に嫌だからだろ?それはさ、私が忘れていた私が大好きでいつまでも抱きしめていたい私の歌なんだ」と、二話にもあるように、桃香は自分のいないダイヤモンドダストを受け入れて、新しい一歩を踏めます決意を決めた。
フェスの時もそうだったけど、伝えたいことは曲の中に込めるのがトゲナシトゲアリのやり方で、アニメの最後まで演奏で締めくくったのはその象徴でもある。最高にロックだった。過去を受け入れたのは桃香だけではない。仁菜はダイダスが好きだった。正確に言うと、ヒナと一緒にダイダスが好きだった。仁菜は、ヒナとの過去が間違っていたものではなくて、二人には出会いに導かれる運命の種子が確かにあって、それも今の自分に導いてくれたものであると気がついた。「運命の華」はそこから咲き始めていた。「運命の華」という歌を作り上げた桃香も、トゲナシトゲアリの練習風景を眺めながら自分たちがどこから始まっていたか思い出したんだと思う。それは、孤立であって、失敗であって、既に過去のものであって、今も傷跡として残っていて、でもそれが大切なものでもあった。今までのしがらみを受け入れた二つのバンドメンバーたち。お互いにライバルとして認め合う。競争の渦中にあるバンドではなく、お互いを受け入れるバンド。だからこそ、ヒナはライバルとしての姿勢を最後まで崩さなかった。どっちが正しかったというジャッジではなく、今の自分たちを直視できた瞬間でもあった。
桃香とダイダスメンバーのことは語られなかったけど、ヒナと同じ気持ちだったと思う。トゲナシトゲアリの演奏を客席から見る四人の表情が、言葉以上に受容を物語っていると思う。涙を流すメンバーもいた。だからこそ最後は、桃香が作った「あの曲」で締めなかったのかな。過去の清算と言ってしまうと、過去の負債に対してそれなりの利益を期待してしまう。でも、お互いが過去を克服して辿り着いた曲を披露した。それが答え。「Cycle of Sorrow」にある「残酷な宿命の鎖が絡みついていく 違う悲しみの輪廻」には、桃香が方向性の違いで仲間を失った悲しみを抱えるのと同じように、ダイダスのメンバーも新しいボーカルを加えた後にまた桃香を失ったときのような同じ悲しみを迎えてしまうのではないかと想像する悲しみがあったと思う。「時が過ぎ去るほど過去に囚われてく 振り解けない思い出」とあるように、ダイダスのメンバーはその活動を続ければ続けるほど、「桃香がいたら」という想像に縛られていく。「残酷な世界の中で救いの手を探してた」のは、残った三人で売れたのは残酷だと思いつつも、ヒナが加入したのは残されたメンバーにとって救いでもあった。「託された想い守り抜くと誓うよ 純粋な希望にしがみ付いてる君の目はいつまでも曇らせないで」には、三人が桃香をリスペクトする気持ちは永遠であるという誓いがある。「何もかもが信じられなくていい 進め」には、三人が学生時代から信じていた大きな存在を失った喪失感の中でもがき続けるという信念がある。
ガールズバンドクライの主人公は桃香
「ガールズバンドクライ」の主人公は桃香だったと思う。仁菜が上京するキッカケも、ダイヤモンドダストというライバルを作ったのも、全ては学生時代の桃香から始まっている。桃香がダイヤモンドダストを自分の信念を優先して脱退したことが正解だったのかを問うストーリー。