VRChatの世界に転生した男の話

 現実は小説より奇なり、という言葉をご存じだろうか。
 今の時代、異世界やゲームの世界に転生する話などがありふれているが、あくまでそんなのは作り話に過ぎない。
 …と、思っていたのだが。
 「俺は…」
 ついさっきまで、仕事で疲れ果てた身体にむち打ち、暗い夜道を歩いていたはずだった。
 が、俺が居るのは、VRChatの世界だった。


 何年ぶりだろうか。俺は勤めていた会社から異動になったが、異動先の部署は所謂ブラックだった。
 二日、三日間は会社に泊まり、帰ってからも数時間寝たらまた出勤の日々。
 そんな生活を一年半、それまでハマっていたゲームはもちろん、このVRChatの世界にも、足を踏み入れることなど出来なかった。
 限界極まりすぎて無意識に帰宅して、ログインまでしたのか…?とも思ったが、どうやら様子がおかしい。
 なんと自分に触れた感触がある。身体も思うように動く。PCのスペックも良い方では無かったはずが、現実と見紛う程よく見える。
 「はは…夢でも見ているのかな…ログアウト…あれ…?」
 ログアウトのボタンが押せない。どころか、機能しなくなっている。
 「まさか…いやそんな…」
 そうだ、と思い、昔の知り合いのところに行ってみることにした。


 「あ、いたいた。カルさん!チルさん!お久しぶりですー!」
 カルーアさんとチルティアさんだ。昔VRChat時代に仲が良かった二人組だ。
 「おや、ジルくん。久しいねぇ。今テレビを見ていたところだよ。チルちゃんは…寝ちゃってるね。」
 「相変わらずですねぇ。って、テレビなんて見られるようになったんですか?」
 映し出されているのは、普通にテレビで放送されているニュース番組だった。
 「いやいや、あくまで動画サイトの生放送だよ。といっても、数日遅れのニュースばかりだがね。雰囲気を楽しむのにはちょうど良いのさ。」
 「なるほど…」
 『トラックの運転手は、居眠り運転で…』
 たまたま映し出されていたニュースは、俺の記憶を呼び覚ました。
 『被害にあった○○さんは、病院に搬送され、まもなく死亡が──』
 俺はあの夜、走ってきたトラックに跳ねられて、死んだ。


 「え…あ…」
 「ん?どうかしたかい?」
 カルーアさんは、当然俺の本名など知らない。
 「いや…その…なんでも。はは。」
 この事実を伝えたところで、冗談と笑われるか、困惑させてしまうに違いない。この事実は、なんとしても隠し通すべきだと思った。
 「そうかい?まぁ、元気そうで安心したよ。」
 とっても元気です。魂だけは。肉体死んじゃってますけど。
 「あはは…あっと、俺、また他のとこいきますね!ごゆっくり~!」
 そう言って世界を移動した。
 こんなときは飲み屋街の世界だ。忘れよう。うん。


 「酒は足りてるかァ~!!!」
 「うぃ~~~!!!!」
 さすがは飲み屋街。入った途端にこれだよ。
 「おっほぉ!!ジルガくんじゃねぇか!!!久し振りだなぁ飲めオラァ!!!」
 「いきなりですねぇごぼごぼ」
 驚いた。本当に飲んでいる感覚だ。しかもちゃんと酒だ。そしておりぇゎあ
 「おしゃけよわいんれしゅぅ~…」
 パタリ、と倒れ、俺はそのまま寝てしまった。


 現実世界で死んで、魂だけとなり、その魂がVRChatの世界に転生…というよりは、さまよう亡霊のようになってしまっているわけだ。
 この世界にある物には触れるし、皆にとってはただのオブジェクトにしたって、俺にとっては本物のようになる。
 …俺は本当に、この世界に…。
 「…ほぁっ!?今何時!?」
 メニューを開くと、時計は夜中の3時を指していた。
既に酔い潰れて動かない人や、大きなイビキをかいている人、隅の方で猫のように丸くなっている人を残して、大半の人は既にログアウトしているようだった。
「…生きていれば、今頃起きて支度してたっけな…」
ついに手に入れた自由とはいえ、今までしていた筈の事が出来なくなる。
やらなくて良くなるという考え方もあるし、やめたいと願ってすらいたが、知らないうちに、誰から告げられるでもなく、急に私生活を行えなくなる、という事実は、俺の不安を掻き立てるには十分過ぎる事だった。
 時計はある。明かりもある。だが、ここには時間帯による世界の変化というものが無い。
 夜の世界に居ればずっと夜だし、昼間の世界に居ればずっと昼なのだ。
 体型の変化もないし、体調の変化もない。
 酒で酔いこそしたが、あれだってプラシーボにすぎない。
 普通なら二日酔いで吐き散らすが、そんなこともなかった。
 せめて他のオンラインゲームやファンタジーの世界なら、モンスターを倒してレベルを上げたり、アイテムを売ってお金を稼いだりする事だってあっただろう。
 人間というものは、無限の欲求にまみれてこそ居るが、全てを与えられると、何も無くなってしまう。
 

 あれからどれくらいの日々を過ごした事だろう。
 女のアバターになって男を誘惑した。
 男のアバターになって自慰にふけった。
 獣のアバターになって野山を駆けた。
 鳥のアバターになって大空を舞った。
 
全てをやった。全てがあった。
それなのに心に残ったのは。
「分からない。」
何が?
何もかもが。
自分は誰だ。
自分は何だ。
自分とは何だ。
わからない。
わからない。
わかりたくない。

なんにだってなれる じゆうがある
ぼくはすべてになった すべてがぼくになった
すごいすごい たのしい たのしい

「ジルくん!!!」
 ハッと我に帰る。
「どうしちゃったのジルくん!?いい加減にして!!」
 俺は…今まで何を?
 そっと鏡を見れば、黒くおぞましい影のようなアバターで、今にも彼女を喰らおうとしていた。
「えっ…?あっ…」
「目…覚めた?」
「あの…ご…ごめ…ん…」
「いいのよ。ここのところおかしいとは感じてたから。」
「何かあったの?」
「その…あの…」
俺は、自分の言葉が分からなくなっていた。
普段どんな喋り方してたっけ?
普段どんなアバターだったっけ?
「今話さなくてもいいから。落ち着いたらいつでも相談してよ。」
「待ってる…。」
そんな二人に支えられて、俺はこれからも…
亡霊として、この世界に生きている。
今も…尚…。

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