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【2ちゃんねる歴15年の少年院卒】SNSと誹謗中傷

私はテラスハウスを見たことがないのだが、誹謗中傷が原因で自殺した人がいるらしい。

私がネット掲示板に出入りするようになったのは15年も前だ。

当時は2ちゃんねるを真似た小さなネット掲示板がたくさんあり、顔も名前も知っている地元の人もたくさん書き込みしていた。

もちろん当時も叩きはあって、それを原因として自殺した先輩もいた。

スマートフォンを持っているのは当たり前で、SNSに登録しているのも当然のこの時代に誹謗中傷は切ってもきれないものだろう。

今日はそんな話をつらつらと。


人間が生きている限りいじめはなくならない


学校も会社もネットも、人間が生きている限りいじめは絶対になくならない。

他人を叩いたり中傷することによって自我を保っている人間が一定数存在するからだ。

そうしなければ生きていけない惨めな人をまともに相手にすれば、こちらの精神まで崩壊することは確実だろう。

根本的に、人という生き物は他人の不幸を望んでいる。

誰かが新しい道へ進もうとするとあれこれ口を挟んでは「無理だよ」と語りかけてくるし、失敗すれば「それ見たことか」と声高々に批判する。

だが、成功しても「ほれ見たことか」と、まるで自分は最初から分かっていたような口ぶりをする。

そもそも人間は無責任な生き物で他人の生き死にに興味などない。

誰でも自分が1番可愛くて、自分さえ良ければ赤の他人などどうだっていいのだ。

コロナが流行り始めて家にいる時間が増え、それを機にネットを利用する人も増えただろう。

いつもは見ているだけのSNSに書き込みをし、自分を世間に晒すことへの抵抗も低くなったのではないだろうか。

しかし、それに伴い「ネットリテラシー」の重要性を理解している人は少ない。

2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は「嘘を嘘と見抜けない人はネット掲示板をやるべきじゃない」と言っていたが、その通りである。

それっぽく書かれていても大半は作り話だし、「ソースは?」と聞かれて根拠を提示できる人はほとんどいない。

今までテレビや新聞が一方的に垂れ流していた情報だけを鵜呑みにしていた人たちが、ネット上にある情報を精査するのは難しいのかもしれない。

申し訳ないが、情報を精査できないなら与えられた情報だけを信じていればいい。

テレビや新聞の情報に右往左往するのがお似合いで、ネット上で自分を晒そうなどという下手な真似はしない方がいい。

冗談抜きに、人間は大した生き物じゃない。

人類が存在する以上、誹謗中傷をなくすことはできないのだから、上手く付き合っていくしかないのだ。


SNSをやらないと仲間外れになるというくだらない意識


私が中学生の頃、前略プロフィールという今でいうFacebookのようなものが流行った。

自分だけのページにニックネームや年齢、趣味などを記載し、写真や自分と交流できる掲示板を貼り付けられるものだ。

当時mixiも全盛期であり、出会いの場のひとつとして学校の友人のほとんどが登録していた。

Facebookと異なる点は本名でなくとも利用できることと、誰でも複数アカウントを所持できることだ。

本名を晒す必要がないから、気になる相手の掲示板に匿名で書き込みができた。

また今ほど著作権問題が重視されていなかったこともあり、見知らぬ他人の写真を利用している人もいた。

自己紹介代わりに前略プロフィールを利用していたため、クラス内の友人の前略プロフィールはほとんどの人が把握していた。

そこに時々、匿名で誹謗中傷が入る。

やれ誰と付き合っただの、誰の彼氏や彼女を取っただの、ヤリマンだのヤリチンだのとそんなことから始まる。

荒らし、叩きをする人に乗っかる人も現れて、「あんなことを聞いた、こんなことを見た」と根も葉もないことで溢れていく。

それらの誹謗中傷に真っ向から勝負を挑む人や根拠を示せと逆に叩きに回る人もいれば、言われのないことに病んでいく人も多かった。

リストカットした写真を載せたり自殺をほのめかしたり、実際にそれで不登校になったり。

これも性格のうちなのだろう。

「だったらSNSなどやめればいい」という人もいるが、それは社会人にだけ通用する話ではないだろうか。

学校という狭い世界で生きている子どもにとっては、学校という組織がすべてである。

くだらない仲間意識を無碍にすれば、実際の学校生活にも影響が出る。

それらを理由に仕方なく前略プロフィールを続けている子は当時からいた。

現在も職業上、やりたくはないけど仕事のためにSNSを利用している人は多いだろう。

プロモーションや広告の一環として、SNSのフォロワー数が影響する仕事は多い。

仕事だからと割り切れればいいが、そこにはその人の性格や受け止め方の価値観も関わってくる。

それを一概に「だったらやめろ」と切り捨ててしまうのはあまりにも短絡的ではないだろうか。

SNSを利用する上で、SNS上だけの自分を持つことはとても重要である。

社会に属する自分、仕事上の自分としてSNSを利用なければ、人はそんなに強くないのだから実際の生活と分けて考えなければいけない。

叩くのをやめろと言って、叩く人がいなくなることはない。

相手を変えるのは大変だが、自分を変えるのは容易だろう。

物の見方はとても大事である。


レスバトルから垣間見える頭の回転率


昔は某掲示板でコテハンをしていたのだが、それはそれは叩かれていた。

あまりにも頭に来てバイト先や自分の裸を晒すという暴挙に出たこともあり、実際に殴り合ったこともある。

それだけネット掲示板に熱中していた時期があったのだが、実際に会うという行為を繰り返し恐らく10年足らずで500人以上と会ってきた。

男も女もジェンダーレスも、ヤンキーもヤクザもシャブ中も引きこもりもサラリーマンもあらゆる人に会った。

コテハン同士の方が話が早くよく会ったのだが、その中に会社経営者がいた。

当時彼は24歳で、年収は2000万超え。

しょっちゅう車と女を乗り換えては煽りと荒らしを面白がって晒し、嫉妬に狂うネット掲示板民を観察して楽しんでいた。

そんな彼に「なんでわざわざ煽るのか」と聞いたことがある。

毎朝4時起きで仕事なのに、深夜1時2時になってもレスバトルを繰り返していたからだ。

彼はこう言っていた。

「どんな言葉をどんな風に使えば相手がどう受け取るか。思い通りになると楽しくて、更に相手を誘い込みたくなる」

今はROM専だから今もあるのか分からないが、当時は「釣り」というネット掲示板用語が存在した。

言葉巧みに相手を誘い込んで、釣り上げ晒し者にするのだ。

当時は車や女、職業で簡単に釣ることができて、私も女性という性を餌に荒らしや叩きを釣っては晒し上げていた。

相手を誘い込むには戦略が必要であり、釣る方もそれなりに考えてから実行している。

そんなことを仕事や学校の合間にやっているのだから、余裕があるのは当然だろう。

ネット掲示板に張り付く以外にやることのない人から見れば、余裕があるというだけで嫉妬の対象になるものだ。

顔が見えない上に匿名で名前も分からないのだから、どの言葉を使うかはとても重要である。

相手がどう受け止め、なにを返してくるか。

ここまで計算して言葉を使えるようになれば、それはお金を稼ぐ上で強い武器にもなるだろう。

ほとんどの人はそんなことまで考えていないだろうが、脳みそは使わなければ衰えるだけだ。

基本的に誹謗中傷を「繰り返す」人種というのは、頭の回転が遅い。

「お前それしか言えないの?」という人を多々見かけるのはそれだ。

バカを相手にすれば疲弊するのは当然で、負のエネルギーを吸収して影響を受けることは必然といえるだろう。

では、誹謗中傷を生きがいとする人種にどう対応するべきだろうか。


出る杭は打たれても出過ぎた杭は打たれない


誹謗中傷を生きがいとしている人種は、ハイエナのようなものだ。

ハイエナに失礼かもしれないが、餌を探してニヤニヤと獲物を狙っている。

人の獲物も自分のものにするし、それが餌ならなんだっていいし誰だって対象になる。

そうして獲物を定めてここぞとばかりに生き生きし始めるのだが、彼らに有効な攻撃方法は「煽り返すこと」である。

自分が間違っていないと思うなら、彼らを誹謗中傷するのではなく、更に叩きたくなる餌を撒けばいい。

わざと餌を撒いて食いついてきたところで、晒し上げてしまえばいいのだ。

彼らを突き動かしているのは「自己満足のオナニー正義感」であるが、彼らは「全世界を代表するほどの正しいこと」をしていると信じている。

真っ向から間違っていると指摘したところで、オナニー野郎は聞く耳など持ち合わせていない。

そこに無駄な労力を使うなら、わざと餌をばら撒いて釣り上げればいいだけだ。

釣り上げられたオナニー野郎の病人は、必ずこう言う。

「ひどい!私は被害者よ!」と。

とんでもないブーメランを自分に向けて放っていることにすら、彼らは気付かないだろう。

まともな警察ならこんなキチガイの相手はしないし、まともな検事なら不起訴からの精神病院へどうぞといった感じではないだろうか。

世の中にはオナニー野郎と同じくらい腐りきった警察も検事もいるけれど、そんなときこそネットを味方に付ければいい。

中途半端に出た杭はどの世界でも、必ず打ち負かされる。

そこから先へ進むには、そんな状況を面白がって更に出すぎてしまえばいいのだ。

「来いよ!やれよ!面白いことしようぜ!」

という姿勢の人を叩くオナニー野郎はいない。

彼らは基本的にチキンハートだし、根拠のない正義感などなんの支えにもなっていないからだ。

弱いものを狙って、餌を探し出し、ターゲットを定める。

そしてオナニーを始め自己満足の結果は、相手の物理的、社会的な死なのだろう。

残念だが、人が生きている限り彼らのような人種がいなくなることはない。

どんな罰則を設けても、やる人間は絶対にいる。

そんな奴らのために時間と労力を消費するのはすごく無駄だ。

だったら、面白がって晒し者にしてやったらいい。

そうされても尚、彼らは自分のオナニーが正しいと信じて疑わないのだから。


余裕のない人はSNSもネットも今すぐやめた方がいい


私もコテハンとして知られているだけで執拗に叩かれたりしていた。

現実生活で余裕がないときに顔も名前も知らない相手からああでもないこうでもないと言われれば、更に余裕がなくなってイライラするに決まっている。

若くて怖いもの知らずだった私はすぐに「どこにいるの?会おうよ、話そう」とすぐに物理的に解決しようとしていた。

そのせいで男4人のワンボックスに拉致されたりカツアゲされたりと、まあまあ痛い目に遭ったのだが、バカなのでそれも経験しなければ理解できなかっただろう。

だが、2ちゃんねる歴も長くなると「やるべきじゃない時期」というのを自分の中で見つけられるようになった。

イライラしてまで見る価値はないし、疲れているのにわざわざ開く必要もない。

前略プロフィールもmixiもFacebookもInstagramもTwitterも、同様である。

そんなものは暇つぶしの娯楽であって、絶対的にやらなくてはいけない「義務」ではない。

たとえそれが仕事上の業務であったとしても、実生活にまで影響を及ぼすほど負のエネルギーを受けているならそんな仕事は辞めてしまえ。

今は特にコロナで自粛が長引いて、ネットを娯楽としている人も多いだろう。

そのためにストレス発散の矛先がSNSに向くこともあるのだろうが、他人のオナニーに時間という代償を払ってまで付き合う必要があるのか考えてほしい。

「叩かれたくないならやめればいい」という人に対して「誹謗中傷している人のためになぜ私がやめなきゃならないの?」と返している人がいた。

申し訳ないが、そこに噛みついている時点でどっちもどっちである。

オナニーを見せつけたい変わり者はいくらでもいるのだから、面白がれないなら相手にするべきではない。

誹謗中傷を叩いている人も、自己満足の正義感を振りかざしていないかよく考えるべきだろう。

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