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快晴の日ばかりだと花は咲かない〜人生山あり谷あり〜

 自身のgooブログからの転載

 Were all the year one constant sunshine,we should have no flowers.
 (年中、快晴の日ばかりだと花は咲かない)

 冒頭の英文は、今朝の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)に取り上げられていた。(ヘンリー・ヴォーンの詩「Affliction(苦悩)」の一節ということである。)

 『逆転人生』(NHK)の、「消せるボールペンの開発の物語」といい、近頃、自身の人生を励ましてくれるものごとによく出会う。

 そのような問いかけで世界を見るから、そのように反映するのだとこれまで思っていたが、これは例えば、我々治療家(施術者?)が、常に治療に関わる情報が目につき、一見全く関係が無いと思えることからも、自身の治療、施術のヒントを得る(例えば、ラジオ体操から施術のあり方がイメージ出来る)ことからも、である。

 しかしながら、そのような出会いが度重なると、現代という時代、社会がそうであるのだろうか?否!そもそも人生というものが時代、社会を問わず、洋の東西を問わずにそうなのでは無いのか!?との思いへとなっていく。

 要するに、本能を失って、認識主体で生きることを余儀なくされた人類は、あるいは認識主体に生きることで本能を失っていった人類は、世界との間に常に矛盾を抱えて、それを一つまた一つと解決することで生きてきた、歴史を築いて来た、ということなのだろうか......。

 【付け加えれば、世界との矛盾を一つまた一つ、と解決していかなければならない。そして、その解決に成功したり失敗したりという試行錯誤が人生そのものである。

 というのは確かにその通りなのだが、同時に、失敗しないように、失敗してもそれが二度と立ち直れない失敗にならないようにと、対象に関わる方法、対象を究明する方法をも問わなければならない。

 そうでなければ、対象の構造に見合わないアタマの働きが技化していって、頑張っても頑張っても、確実なものは、その頑張っているという事実だけしかない、という現実を持つことにもなりかねない。】

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