文系と理系の違い
文系と理系の違いはここらあたりにあるのかもしれない。
例のコロナのRT-PCRだって、条件設定がちょっと変わるとうまく増幅しないことはしばしば経験するので、初めてやる時には色々条件を変えて何度もトライすることは珍しくなかった。けれども、文系の人はPCRならば魔法のように結果が出るはずだという信仰のようなものを持っているのではないかと思うのである。
まあ、最近は機械の性能が良くなったので結構厳密性は高くなってきたと思うけれども、やはり、他の試料の意図しないコンタミやRNaseの混入などは常に考慮しなければならない。reverse transcriptaseだって、何かの拍子に失活してしまっていれば逆転写反応が起こらないわけである。
私の実験ではそれでも「あるはずの」RNAを増幅するので、結果が陰性ならばどこかに間違いがあったのではないかと上流の工程をチェックすることができるが、左派リベラルの人が叫ぶ「人口ベースの無症状者のPCR」なんてやってもどうしようもないとしか思えないのである。まだ結果が陽性に出ればそれが正しいかどうか、さらなる検査ー胸部CTや抗原検査ーも可能であろうが、陰性の場合はどう引っ掛けようもないのである。
検査が陰性の人を非感染者として隔離したとしてもすり抜けで偽陰性の患者が紛れ込んでしまえばそこから感染が広がるじゃないの、としか思えないのだが、文系の人はPCRという魔法の機械で陰性が出たら大丈夫だと無邪気に信じられるのだろう、それは幸せなことだと思うわけである。
スペースXの宇宙船も頑張って何度も着陸にトライしてやっと成功させたというのが偉業というべきだろう。
パッケージに入った商品のようにレディーメイドで常に上手くゆくというのは文系の願望に過ぎないよね、と理系の人は理解されない思いを抱いて夕暮れに佇むより他はないのである。