崖の柵
そうだ、書こうと思って忘れていた。
ピルツキさんがツイッターを凍結されたそうである。誰かがそれをnote記事にしたのであったが、今は見つけられない。ごめん。
ピルツキさん、正式名称は「ピルとの付き合い方」さんだったっと思う。
日本は言わずと知れた保守大国なので、避妊用のピルは解禁されず、医師の処方箋が必要な期間は他国が解禁してからも長く続いたのである。
これに対して敢然と立ち向かったのがピルツキさんである。ピルツキさんは女性のセックスの自由のためにピル解禁を主張したのである。
当時、というか、今でも基本的に日本が保守である理由は当時の日本人はat one's own risksというものを理解しておらず、政府は民に利益だけをもたらすべきであり、有害事象が起こることは政府の努力不足を示していると考えていた人が多かったからであろう。
つまり、政府は有害事象の起こりうる余地を認められていなかった。だからこそ、海外では崖から落ちるやつの方が馬鹿だろうということで柵など作らないのを、日本政府は「崖危険、立ち入り禁止」とせっせと立ち入り禁止の柵を作りまくっていたわけである。
ピルにも副作用がある。at one's own riskが許されない日本にとって、ピル解禁により人々が自由にピルを手に入れると、中には不適切な使用でピルの副作用を起こしてしまう人が出てくるかもしれない。そうなると、それについては政府が悪い、政府に責任があると叫ぶ人が多数出現して、政府が責められる事態が想定されるわけである。そういう事態を避けるために政府はピル解禁を拒否していたわけである。
当時、私は別にフェミニズムにそれほど反感を持っていたわけではないが、STD(SexualTransmittedDisease; 性感染症)には少し興味があった。平成14年頃に10代の人工妊娠中絶数が急増したことがあり、その周辺では、例えばクラミジアの流行や、もちろんAIDSを引き起こしうるHIV感染症、子宮頸がんウイルスなどの問題があったわけである。(今ではそれに梅毒の問題も大きくなっている)
それで、ピルツキさんに、ピルの利点はわかるけれど、避妊法でコンドームをやめてピルにした場合、STDは増加するよね、って聞いてみたわけである。想定した返事は「ピルは性感染症を防御しないけれども、大人だからそのリスクを承知の上で使うのです。」であった。つまり、at my own riskで使用するという大人の対応である。
けれども、彼女の返答は異なっていた。「ピルは性感染症を防御します。」というものだったのである。さすがにこれにはずっこけざるを得なかった訳である。さらに、「海外ではピルが性感染症の予防に効果があるという報告が出ています。」とやったものだから、さすがに外野からも「もしそんな報告が本当にあるのならここに出せ」という突っ込みが入ったわけである。
そうして、翌日には彼女はそういうやりとりなど全くなかったかのようにピル解禁運動の推進を始めたわけである。もう何年も前の話なので細かいところについては記憶違いもあるかもしれないが、私がフェミニズム運動を科学としては受け入れず、一種の宗教に近いムーブメントであると認識したのはこの時からデアル。「ジャッポスホロビロ」のラディカルフェミニズムやツイフェミさんたちに遭遇したのはその後であるが、フェミニズムは宗教的運動であるという最初の認識は残念ながら変わっていない。
つまり、現実を前に自らの認識を訂正するのが科学であって、自らの認識に沿って現実を訂正するのが宗教である。
フェミニズムが男を家畜にしようとしているなどということは本質的ではなく、フェミニズムが宗教であることが本質である。
宗教は原理主義に走りやすく、フェミニズムの過激派は例えばイスラム教のタリバンやISとも比肩されるべきものである。
ピルツキさんはピルを処方箋なしに誰でも自由に買える世界を目指していたのだけれど、そのためには科学的思考が重要であっただろう。けれども、フェミニズムの宗教的側面、もしくは責任転嫁の側面が強調されると、残念ながらピル解禁は困難だったということかもしれない。
先ほどの崖の例で例えると、崖の柵を取り外して誰でもがけの縁までいけるようにしてください!という叫びに政府担当者が「もし崖から落ちたらどうするんですか!」というと、「そんなの、落ちる人はいません。海外の報告ではそうなっています!」と答えようと、「正しい人は神様が救ってくださいます。」と答えようと、「え?そんなの政府の責任に決まっているじゃないですか、政府はきっちりと損害賠償してください。」と答えようと、いずれにせよ政府担当者は崖の柵を取り外すことはなかったということであろう。
その後はブロックされていたのかもしれないけれど、彼女の活躍を見ることはなかった。もう辞められたのかと思っていたら凍結の報があったわけである。
一人一派のフェミニズム界にあって、彼女の味方はそう多くはなかったかもしれないけれど、よくここまで頑張ってきたんだなというのが正直な感想である。彼女は科学的人間ではなかったけれど意地の悪い人ではなかったと思う。
ツイッターを離れてもしっかり歩んでいただきたいものである。