お父さんはいらない

これが日本のフェミニズムの理想形態であることは間違いないのである。

男は不要、ゴミであり、女性こそがグレートマザーとして子供を支配する世界こそが日本のシングルマザー、フェミニストたちが追い求めてきた「男尊女卑のない家父長制を廃した世界」である。

つまり、男はモラハラであり、DVDであり、だからこそ児童虐待者という三段論法がフェミニストやシングルマザー、また、彼女たちを支援する弁護士さんの間では成立しているようである。

現実には、厚労省の統計ではなお実母が実父より虐待の加害者が多いわけであるが、そういう時には警察庁の虐待による起訴者の統計を持ってきて男の方が多いと勝ち誇るわけである。起訴に至るということはそれだけの証拠が残る身体的虐待とか性的虐待の事例が多く、それはしばしば悲惨な結果に至ってニュース等で報道されるものが含まれるわけで、この場合には男性が加害者の方が多い。(母親加害者がゼロというわけではない)

一方で虐待の類型はそれ以外にネグレクトや心理的虐待(精神的虐待)の事例が多く、精神的虐待などでは悪口やひどい言葉がけが主になるので証拠は残りにくい。そういう事例ではほとんど起訴されないので警察庁のデータでも事例はゼロに近い。この類型では女性が加害者の事例が多い訳である。

こういう状況で、フェミニストたちは「DV加害者=虐待の加害者は全部男!」という主張を押し通してきた訳である。もともと日本は子供への予算より高齢者福祉を重視した国である。主に高齢者が使う医療費や年金にはそれぞれ10兆円近くが税金から投入されている。消費税が20兆円であるので、ほぼ消費税分が高齢者のために投入されているのである。一方で子供に対しては例えば文科省の予算は5兆円に過ぎないし、いくら首相が旗を振り、こども家庭庁ができたとしても少子化対策予算には充分な予算は降りないのである。

子供には選挙権がない一方で、もう日本の高齢化率は3割である。政府は将来を担う子供よりも高齢者に向き合いたがるというのが日本政府のやむを得ない悪弊であると言える。

その中で、司法もおよそ9割近くの離婚事例で母親単独親権を認めてきた訳である。これは家制度の廃止で父親に親権を渡すのは悪という視点(戦前は逆に父親単独親権であった)があったのと、同じく家制度の廃止により母子の関係性が深まったということがあるのだろうと推察される。

戦前は父親が家父長として家の子を養育するという制度であり、今はPTAとなっている組織はかつては「父兄会」だった訳である。戦後、GHQがこの男尊女卑を廃絶し、あるいは家制度を破壊するために父兄会を廃止して「両親と教師のアソシエーション」としてPTAを組織させた訳である。なので、戦前では両親の離婚時には母親が「家の敷居を跨ぐな」と追い出される事例がほとんどであり、単独親権は父親のものであった。戦後はそれを逆転させる必要から離婚後の親権は母親のものとなったのではないか。

母親については実際に妊娠期間や出産などで子との関係性は自明である訳である。一方で、父親と子との関係性は間接的になるのである。それ故に戦前には姦通罪というのがあった。つまり妻が他の男性と子供をなすことは犯罪になっていた訳である。

正常な妊孕性を持つ限り、どういう男女であろうと男女間の性交渉の結果、妊娠出産が起こり得る訳である。つまり、妊娠出産が発生した場合、母親と子との関係性はまず間違い無いのだが、父親が誰かということは(特に家制度では)問題になる。父親が違う場合、家制度であれば男系はそこで絶えることになるのである。そのため、家制度において姦通は重罪ということにされた訳である。

戦後はそういうことは無くなったのでただ母子の関係性だけが重視されることになった。つまり、家族という関係においてどの点から見てもすでに家制度はなく、ひたすら母子間の関係性だけが重要であり、男はすでに蚊帳の外に置かれているということになる。これは不倫した男についても同じである。不倫した男は自分が子供の父親だと名乗ることはできないのである。

おそらく、この時点ですでに結婚制度は解体すべきだったのであるが、そこには不都合が一つあった訳である。子育ては重労働であり、多くの人は家族を養う賃労働と子育てを両立させることは困難であった。そのため、結婚という形式をとって父親かどうかは本当ははっきりしない男を稼ぎ手として家庭に招き入れ、父親と認定して働かせてその収入を生活費として使用するという制度になった訳である。

この観点を敷衍すると、離婚というのは例えていうなら父親を雇用契約の終了とともに解雇するようなものである。つまり、本質は母子なのであるから、父親は被雇用者、単なる従業員ということになる。従業員は不要になったら解雇され、会社との関係性は解消される。つまり全くの無縁になるということである。

政府の行った離婚事務即ち、離婚においては母親の単独親権として、父親はわずかばかりの餞別として養育費を数ヶ月は支払うが、その後はもう母子は死んだものとして新しい人生に向かうという昭和後期のシステムは家制度の廃止された後の母系制社会としては理想的なものだったのでないか。

これが平成、令和になるに従って「子どもの権利」というものがクローズアップされ、一方ではそもそも論としてなぜ父親という働き手が必要かという事態、つまり、離婚後の母子家庭では母親が一人で育児と生活費を稼ぐ必要とを迫られるという現実が明らかになってきたということだろう。

もちろん悪者は離婚した父親である。なぜ養育費を支払わないのか、子供がかわいそうじゃないのか。ちょっと待って、離婚したのだから面会交流とかわがままは言うな。家族とは母と子のことである。父親は家族ではない。お金を稼ぐだけの機械に過ぎないのだからお金だけ払えば良いのである。こう言う議論が沸き起こってきた訳である。

多くの離婚した元父親は「冗談言うな、雇用契約は終わったのに永久にただ働きさせる気か?」と無視するだろう。また、イクメンプロジェクトなどで育児に参加してしまい、子供に対して「親」と言う気持ちの強くなった一部の元父親は「じゃあ雇用契約再開だよね。お金は払うから父親をやらせて!」と騒いだ訳である。

けれども、母親にとってみれば父親は家族の外の他人でしかないので「雇用契約の再締結なんてしません!元父親を人間扱いなんてする気はない!タダ働きするのが当然!」と叫んでいるのが現状ということである。

これが端的に現れているのが離婚後単独親権絶対維持派である。父親などには面会(親子)交流などさせません。我々「家族」の前には現れないでください。あなたはただの他人です。でも養育費だけ、お金だけ無意味に支払ってください。もちろんこちらの要求通り最大限払って!あなたはただの他人なのであなたの生活など知ったこっちゃありません!こっちの状態もお知らせする気などさらさらありません。いいですか、あなたは無関係のただの他人です。こっちのプライバシーはお知らせしません。ただお金だけ要求通り支払えばどうだっていいんです。さあ、お金を払え!

こういう主張を臆面もなく始めている訳である。世界の他の国では父親たちが立ち上がって父親の権利を確立しようと頑張っているが、日本の父親たちは立ち上がるだろうか。多分、一部を除いては諦めてお金を払わないようにするだけでいいという人が多いのではないかと思う。そうであればもう結婚制度自体をオワコンにしてしまって皆孤独、個家族を目指せばいいことになる。

少子化がもっと進んで子どものいない未来のない社会にはなるけれども、フェミニストたちは「はっはっは!子供がいなければ女性が子育ての負担から解放されるぞ!バンジャーい!」と大喜びするだろう。

少子化をどうすんねんとか彼女たちにまともに聞いてはいけない。彼女たちがそんなことを理解できるとは思わない方がいいし、恐らくは「結婚しなかった男のせい!」と責任を男に転嫁してくることは目に見えているのである。彼女たちは責任回避、責任転嫁の天才的才能を持っているのである。

まあ、バッドエンドであろう。フェミニストさんが目指している「僕の1日にお父さんはいらない」は日本ではまず間違いなく悲惨な最期に向かうだろうと思う。

じゃあグッドエンドにするためにはどうすればいいか。これはフェミニズム万歳、シングルマザー万歳、左翼万歳のnoteでは書くと検閲されるかもしれないので書けないのである。w

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