移民について
さっきこういう記事を書いたけれども、これは「少子化を解決するためには海外からの移民を増やせばいい」というリベラルのイージーな意見と合わせ鏡でもある。
多分、そういうリベラルの本音は「海外移民」はなんとなく、高齢者になれば母国に帰って消えて無くなると考えているのではないか。だから自分たち高齢者を支えてくれるだけで日本の負担はないという都合の良い考えが無意識に出てきていると思う。
「移民」で日本に来た人の母国は日本になるのである。彼らが年老いれば日本の福祉で彼らの老後を見なければならないのである。もちろん、ニューカマーとしてやってくる人たちが例えば日本語を覚えたり、日本でうまく暮らしていけるだけの生活習慣を教える施設の整備も必要である。
けれども、そういう予算について発言している人は(移民反対の人は当然として)移民推進派の人にも驚くほど少ないのである。時々そういう意見を出す人がいてもほぼ瞬間的に忘れ去られて誰の記憶にも留まっていないのではないか。彼らの頭では移民は人間ではなく、抽象的で純粋な「労働力」という認識であるように思う。「労働力」でしかない彼らは実体として生活し、食事をしたりするとは信じられていないのではないか。
そういう「労働力」としてしか見ない人たちにしてみれば給料を支払うこと自体が無駄に感じられるのかもしれない。これまでも多くの海外からの実習生がトラブルを発生させているのも、「労働力」としてしか認識しない日本人たちと血肉を備え、生活する人間としての実習生のずれがあるからではないか。
以前、あるネトウヨ呼ばわりされる俳優氏が自分の畑に外国人が作物を盗むという話で、多くの左派やリベラルは「外国人を泥棒呼ばわりするな。それは差別である。」と非難して、俳優氏が「証拠もあるんだ」と反論して炎上したことがある。
左派やリベラルにしてみれば日本人のくせに外国人を泥棒扱いするとは何事だ。悪い日本人は土下座して謝罪と賠償を行え!と言いたかったのだと思う。彼ら左派やリベラルにとってもはや「外国人」は人間ではなくてイコンになっていると思われる反応である。
けれども、私としては、人間としての外国人が逞しく生き抜いているんだなあとしか思えなかった訳である。かの俳優氏も一生懸命作物を作り、生きるために外国人たちが作物を盗む。野生の世界の逞しさである。善良なる市民としては作物を盗むという犯罪行為は許すべきではないというしかないのだが、その前段階として、日本に来た外国人が作物を盗まなくてもいいように知恵を絞ることも重要であろうと思った訳である。