そもそも結婚しなければ離婚はない。
男はモラハラ、DV虐待の犯人なのであるからまず結婚する権利を剥奪すべきではないか。結婚できるのは高貴で正義である女性だけにすべき。男は女性の足ふき、奴隷で喜ぶべき。それが嫌ならそもそも結婚する権利はない方がいい。
女性も男がいるから不幸になるわけだから、もう、奴隷以外の男は邪魔者として排除すべきではないか。男は家族を養う賃労働とケア労働、そして家事育児労働を全て担って休む暇なく働き続けるべき。
女性は可哀想なパレスチナ人であって男は傲慢で邪悪なイスラエルであるからもうイスラム教徒の過激派のような人が提示する「イスラエルは地の表から取り除かれますように」という祈りのように「悪い男ども、奴隷以外の男どもは地の表から取り除かれて働く機械の男だけが残りますように」と祈るべきでないか。
男はもう結婚とかすべきではないのである。とかにジェンダーやフェミニストなどの戦隊な女性は傷つきやすいのであるから男は近寄らない方が良い。そうすればHSPのような女性は男に傷つけられることはなくなるのである。
結婚しなければ離婚もないのであるから女性も共同親権で悩むことは一切なくなるのである。
男は家庭とか不要である。血湧き肉躍る冒険の旅に出よう。そうすれば男も女性に悩むことはないし女性も男に悩むことはなくなるのでこの点では問題は解決する。
マスキュリストは「人工卵子」とか「人工子宮」で女性を介さない挙児を求めるがまあ、まだまだSFの世界である。潔く子供は諦めよう。リプロダクティブヘルスライツはひとえに女性だけの権利であるので子供が生まれない、少子化の責任はもう男にはないのである。男にそんな責任を押し付ける人はつまりは家制度の信奉者といえるし、あるいは家父長制の信奉者と言ってよい。
そんな時代遅れの主張をするのはなんだかなあであるよ。今の世の中は男にはなんの権利も義務もないという時代である。男はそんなことよりももっとワクワクすることをやろう。子供については男にはなんの権利も責任もないのだからそちらには近寄らない方がいい。まだ戦前戦中世代のような生きた化石のような人たちは男に結婚して後継をとかいうかもしれないが、戦後日本はもう家父長制や家制度はないのである。後継はなくてよい。
男はワクワクする冒険に出かけて素晴らしい経験をしてどこかでのたれ死んでゆけばよいのである。それが自由である。
家に縛られて、性役割として家族を養う賃労働を押し付けられ、あるいはケア労働を押し付けられ、さらには家事育児を押し付けられ窒息しそうになる人生の何が楽しいのか。
それでも子供が大きくなるのを見ながらであればなんらかの満足感も得られる人生になるかもしれない。けれども、今の日本では、突然妻が子連れ別居して、知らない間に身に覚えのないDVや児童虐待の犯人にされ、いきなり離婚の憂き目に会い、子供の親権は妻に独占され、子供との面会交流も良くて月1回2時間に制限され、7割くらいは面会すらさせてもらえないことになるわけである。
その上、養育費の強制徴収が行われるようになると、自分の意見とは関係なしに養育費が天引きされてしまうことになり、例え、子供と会えないから別の女性と新しい人生を始めようと思っても義務的な養育費が負担になってそれを諦めざるを得なくなるかもしれないわけである。
妻側が勝ち誇って高葛藤である!と叫ぶ自体になればもう男の方は隷属した人生しか送れないということになる。そういうリスクを考えれば最初から結婚しないという選択はむしろ魅力的になってくるのである。
結婚しなければ離婚はないというのはそういうことである。