別姓婚の欠点

他の人のnoteのコメント欄で興味のあるコメントを見たけれど、他人のnoteのコメント欄で続けるのも何なので、こちらでオリジナルのnoteを立てた方がいいだろう。

日本では性役割分担で、男は家族を養う義務がある。で、夫婦別姓論者は女性も働いているので自分の好きなものは自分で買うから男はもっと奴隷化せよということになる。女性が働くからといって男の義務が減るわけではない。家族を養う義務に加えて家事育児をやれ、ということになる。

つまり、甲斐性なしの男が無能できるあるために女性が働かざるを得ない。だから、男は賃労働はそのままで家事育児の負担も分担を増やせということである。だから午後10時まで残業した上で午後5時に保育園に子供を迎えに行け、晩御飯も作れ、ということになる。何かおかしいといっても知らぬふりをされるわけだし、理性的に午後10時まで残業をしながら午後5時に子供を迎えに行けるわけないと言っても、「そんなこと要求しているわけじゃない。私は時短でちゃんと迎えに行っている。そんなこと男のあなたならきちんと考えてうまくやればいいでしょう」と逆ギレされることになる。時短でなんて言えばまあ、今でも多くの企業では窓際行きになる。もちろんマスコミ向けの広報をする大企業では「うちはきちんと制度を作っています」というかもしれないが、中小企業ではそんな余裕はないであろう。繁忙期などに社員が「はい、育休取ります」とか「時短にします」というと出世の道はそこで終わるかもしれないし、リストラ要員にされるかもしれないわけである。女性は「ガラスの天井」というが、まあ、経営陣の頭がそうであれば、女性にあるガラスの天井は男にもある。ただ、そういう男は「あの人育休なんてとって時短だから出世は諦めているんだよね。」と女子社員から囁かれて当然視されているだけのことではないか。

といつものことを書いて、さて、夫婦別姓における不利益はもちろん相続である。今、日本では相続時に配偶者に1/2が相続されることになっている。これはまだ寿命が短かった時代に、小さな子供に父親の財産を相続させてもまともに運用できない、だから妻が子供の代わりに財産管理して、子供が大きくなって自分で財産管理できるようになるまで一時預かりという意味の制度であった。

まあ、政府も日清日露からなる戦役の中で、若くして散る兵士に「おまえさんが死んでもきちんと相続の特例をつけるから安心して死んでいいぞ」という必要があったということだろう。兵士も自分が生きて帰らなければ自分の家族が不幸になるというのなら安心して戦って死ねなかったわけだから。

けれども、今の長寿日本では、まあ、兵士が若くして戦死するなんてことはもう想定の範囲外である。子供が財産を相続するのは特に問題がなければ成人後、それも40歳代、50歳代になってからだそうである。

つまり、配偶者が子供の後見人という意味で財産を相続する意味はもうほぼなくなっているわけである。そのため、今では配偶者への財産相続は「配偶者が住んでいる自宅を相続の問題で追い出されないため」などという理由に入れ替わっているのである。

こういう中で、夫婦別姓を導入すると、あえて別姓を選択する人は新しい家族より自分の家を優先する人であろう。男には家制度をやめろ、家父長を廃止しろと叫ぶ女性でも伝統的には財産を相続できなかったとしても、自分の家、実家を至上と思い、報われないけれども尽くしたいと考える人も多いのであろう。

そういう人は夫が死んでその財産を相続すれば、婚家から財産をもぎ取ったという気持ちになり、自分の実家に財産を献上すれば自分が実家の中で認められたと感じる人もいるのではないか。

また、子供たちも妻側の姓にしてしまえば、伝統的な価値観から言えばそれは妻側の「家の子」になることになる。夫側は必死で働いて稼いで育てた子を妻側の家が何の労力もなくもぎ取ってゆくことになる。

それは支出の少ない妻側からすると「別に平等だからいいじゃない」という意見になるだろうけれど、実際に子育てに多くを支出した夫側から見ると子供という財産を強奪されたという気分になるのも当然であろう。

そのために日本では婿養子という制度があったわけである。女子だけでは子供はできないので、そういう家では男子を娶せる時に、自家の養子として丸抱えにして妻側が責任を持って支出し、子育ての援助をしたわけである。

そうして援助してもらった男性が「そんなの嫌だ」と言って自分の旧姓を名乗るならばそりゃ離縁ということになって、妻側はその男子を追い出すことであっただろう。

今の民法は家族の縦の連結を無視しているので、そういう法律を至上のものとしている法律家や左翼たちは夫婦二人だけを優先せよというが、夫婦の周りには実際は多くの人がいて、社会が成り立っている。その中には自然発生的な不文律がたくさんあるのである。

その不文律を文字には書いていないからと言って無視すると歪みが大きくなり、社会自体がやせ細っていくわけである。

昭和以前が全て良かったというつもりはないけれど、平成の中期から以降は女性の社会進出という美名の副作用として祖母が仕事に出るようになった。そのため、孫が入院する時に(当然娘、つまり孫の母も働いているので)その子を看病できる人がいないという問題が出てくるわけである。

法律しか見ていない人は「そんなの完全看護でいいじゃないですか。大人は一人で入院しているのです。子供だけ甘えさせてはいけません。」なんて偉そうにいうかもしれないが、母子の絆が途切れると愛着障害が起こりかねないわけである。そうなるとwithdrawalが起こって問題が長期化しかねない。

もちろん孫の一大事ということで「仕事より孫の看病」と言ってくれる人も中にはいるのである。けれども、平成中期以降は「祖母の私にも仕事があるので休めません」と冷たく断る人が増えてきた印象である。女性の社会進出が進んだ現在、核家族ではもうそういう事態には対応できる余力がなくなってきているのである。

家族が解体するならば病院がもっと負担すればいいじゃないかという意見もあるかもしれない。けれども、そういう事態に対応すると、病院のできることは入院の短期化や外来での対応の強化ということになる。そうなると、例えば病院に併設されていた病児学級も利用が減って閉鎖されることになるし、入院患者の減少からは病棟閉鎖という方向に行くだけである。

まあ、経済評論家などは「金儲けにならない小児科などはどんどん閉鎖して金儲けになる老人の医療を充実させろ」っていうわけだが、そうなると、子供の医療はどんどん薄くなってゆく。

街のクリニックにはまだまだ小児科はたくさんあるが、もちろんそういう医院はビルの診療所などで、入院施設はないのである。その中で入院が必要な重症患者が入院を希望しても、小児科病棟が閉鎖されていれば対応できない。遠くの入院できる病院を探すしかなくなる。

経済評論家たちは「そんなの少子化だからどうでもいいじゃない」なんていうけれども、同じ問題は産科でも起こっているわけである。婦人科はあるけれど産科がなくなった病院は多いわけである。妊婦さんが出産しようとしても「あ、先月から産科は無くなりました」と言われて右往左往しなければならないケースは多いのである。もしくは、残っている数少ない産科に妊婦さんが殺到する結果、もう妊娠が判明した時点で予約を取らないとその病院では出産できないなんていう出産難民が発生したりするのである。

こういうのも社会のバランスを考えず、誰かが一方的に要求した結果といえる。社会がやせ細ってきているわけである。

夫婦別姓も当事者の一方は利益を得られるだろうが、他方は不利益を感受する関係になりやすい。そうなるとその不利益を回避するための対策が自動的に取られることになり、社会がどんどん痩せ細る一助になる可能性が大きいわけである。

フェミニストや左翼の唱えるユートピアがディストピアを招き寄せることになるわけである。

そういうことを考えると、夫婦別姓をやるならば日本的家族を解体してチャウシェスクの共産主義王国(チャウシェスクという王が父親の国全体が一つの家族という擬似家族王国。愛情遮断症候群のリスクは上がる)を作るか、中華のように宗族を作って、妻は別の宗族として家族に入れないという制度にするしか継続性はなくなると思う。

https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2021/11/20.php

このコラムでも、夫婦別姓を賛美しているように見えて、最後に一つだが不満が述べられている。その不満は小さいようであるが、積もり積もれば社会を破壊する可能性もあるわけである。

いいなと思ったら応援しよう!