2年参りの記憶
東京の方が並ぶの好きなんじゃなかったのか。中高生の時にはよく2年参りで京都の八坂神社にお参りしていたが、あそこは新年にならないと開門しないので大晦日の午後10時過ぎに阪急の河原町の駅を出るとずっと行列をなして待っていたと思う。多分千人以上がじっと普段は車が走る道路を歩行者天国にして待ち続けたのである。
そして年が明けると開門になり、一気に列が動くと十数分のうちにお参りができて賽銭を投げ込むとおみくじを引いてあーだこうだ言いながら横の円山公園に出て、そこから平安神宮に向かうと、同級生の別のグループがやっぱり初詣に来ていて遭遇するというのが常であった。
平安神宮の側には大晦日から元旦にかけてだけ営業するという通しか知らない(らしい)蕎麦屋さんがあって、そこに京都の友人が連れてゆくのでにしんそばやら晦日そばをたべるのがいつもの流れであった。
八坂さんではおけら参りと言っておけら火を授与してくれるという風習があって、その火を使って竈門の種火を付けると一年息災に過ごせるという風習があって、友人たちもそのおけら火をもらって帰ることも多かった。京都の人はその火が消えないように火のついた縄を振り回しながら歩いて家に帰るのだが、まあ、我々は阪急電車に乗って帰るのでおけら火の縄の火が消えないようにそっと注意しながら持って帰ったことがある。
誰か電車の中でおけら火を振り回したバカがいたとみえて、いつの頃からか、河原町の駅では「おけら火を持って乗るなバカ(意訳)」というアナウンスが流れるようになってからはそんなことはしなくなったわけである。
まあ、当時でもガスコンロだったわけでわざわざ種火を持って帰るのは時代錯誤である。今ならIHの家も多くなったので種火の概念すら無くなっているのかもしれない。
まだまだ二十世紀で、五島勉氏のノストラダムスの大予言が世間を席巻していた時代である。開門を待っている間にはキリスト教系の人たちがスピーカーで「神は舞い降りた」とか「悔い改めよ」と言ってがなり立てていたり、なんだか手書きの旗を持っていたのを覚えている。もう、今は紅白を見てから子供らと家で年越しそばを食べるので、八坂さんの2年参りに行くことなくなってしまったが、多分あのキリスト教系宗教の人たちは今でも神は舞い降りたとか叫んでいるかもしれない。年越しそばの店は今でもやっているのだろうか。それはもうわからない。
私も神はいないとまでは思わないし、まあ神道も仏教も胡散臭いと言われればその通りというしかない。けれども、私がキリスト教を胡散臭いと思うのは河原町の駅から八坂さんの開門を待っている行列の中でキリスト教系宗教の布教(?)こ姿を見たということが結構大きなインパクトを持っているのではないかと思うわけである。