ママ友という共依存を卒業した話
あるママ友さんがいた。
彼女とは、かなり長いお付き合いだった。
ものすごく献身的で優しく、過剰なまでに尽くしてくれる人だった。
その子どもから自分の子どもへの友情もまた、友情とは思いにくいような、ちょっと過剰なまでの強烈な好意だった。親子揃ってそんな感じだった。
過剰すぎて正直困惑する事もしばしばで、やたらに贈り物を贈られすぎないようにお願いをするような事も何度もあった。
これまでの友人関係にはない、恋愛のような感じに戸惑っていた。
自分はバックボーンが複雑なので、依存関係になりやすい相手な気がして、
細心の注意を払っていた。
いつか、普通の友達になりたかったからだ。
過剰に支えられるのではなく、さりげなくそばにいて安らげるような、対等な関係になりたかった。
だけど、なかなかそれはうまくいかなかった。どうしてもケアする側でいたいようだった。それがどうにももどかしかった。
気が合う、感覚があう、話があう、というフィーリングで出来た友達ではなかったのが、そもそも大きく違ったのだと思う。
ママ友、というものは、特殊な関係性だと思う。
あくまで子ども同士の関係性ありきでしかスタートしづらい事や、家庭環境丸ごと価値観が合わないと続かない事。
ママ友から始まったとしても、あくまで気が合う、感覚があう、話があうような相手だったら、子どもが大きくなって子ども同士で遊ばなくなっても、続く、「友達関係」になれるのだと思う。
同性の友人に、そこまで強烈に好意を向けられ尽くされる、という経験がなかったので、どう受け止めて良いのかよくわからなかった。
だけど、自分には子育ての悩みを共有したり、子ども同士で遊ばせあったりできる相手が本当に本当に必要な時期だった。
それまで自然にとても仲良くなったママ友さんが引っ越してしまったタイミングだったのもあって、他にいない状況もあり、大変ありがたく受け止めることになったのだった。
ちょっと過剰すぎることを除けば、とても良い人だなと思ったし、面白くて美しくて優しくて、魅力的な人だった。そんな人に親切にされて素直にとても嬉しかった。友達になりたかった。
でも、話をしていくうちに、あれ?と思うことが増えていった。
多分、どうしようもないほどに、考え方や価値観が合わないのだった。
どちらの考えが良い・悪いとかでなく、ただ、決定的に「合わない」相性だったように思う。
一緒にいると、お互い悪意もなくむしろ善意しかないのに、意図せず自然に傷つけ合ってしまうような。
それでも、どうにか続けてきた。会うたびに、もう会うのはやめようと何度も思った。でも、その度にすごく助けられたり、支えられて感謝して、離れる勇気を持てなかった。決定的に合わないのはわかっているのにという気持ちを持つことは、強い好意に対しての裏切りに感じて罪悪感もあった。なので、丸ごと受け止める気持ちになれればと、もうこういう人なんだなと思おうとしたり、徐々に子ども同士だけの関係に持っていけば、いつか自然な距離感の関係になれるのではないかなと思ったりした。
他のママ友さんが出来ても、ここまで親密になれることはなかった。唯一無二の相手だった。子どもたちもまた、そんな感じだった(若干、向こうがうちの子どもに過剰におもねりすぎでは?という懸念はあったが、うちの子どもがそうさせている感じはなく、向こうが好んでそうしているのがわかったので止めるのが難しかった)
だから、合わないのはわかっているけど、このありがたい関係を諦められずに、こういうことは恐縮しちゃうので申し訳ないけどもうやらないでね、など、お互い気持ちよく付き合って行けるために、ちょっと言いにくい事もきちんと伝えてきたつもりだった。でも。どんなに年月を重ねて伝えても、境界線を超えまくってくることは変わらなかった。
ある日を境に、急に相手の態度が変わった。
それは恋が終わったかのような、不思議な変わり方だった。
普通な対応だけど、普段があまりに過剰なまでの丁寧な対応ので、はっきり言われた訳ではないが、「あ、もう終わりにしたいんだな」ということが伝わってきた。
不思議な寂しさや、自分もまた依存していたのだなあと気づき、失ってしまったことを悲しく思った。自分が傷ついていたのと同じように、おそらく向こうもたくさん傷ついただろうと思う。ものすごく嫌な思いをさせてしまったのかもしれないと思うと、痛烈な申し訳なさが襲ってきた。
自分はどこか、常に受け身の体勢でいたように思う。傲慢だったなと反省したし自分を恥じた。
本当にまるで恋愛のようだった。友人関係ってこんなふうに終わったことなかったから。少しだけほっとした気持ちもあったが、それよりもこれまでの感謝の気持ちが溢れた。本当にずっと、何度も助けてもらってきたからだ。彼女の親切は、特別だったのだ。
ただ、都合の良い考えかもしれないけれど、もしかしたらこれは、彼女にとっていい傾向なのかもしれない、とも思った。
優しすぎるあまり、自己肯定感がかなり低い人だった。申し訳ないけど、尽くすことで存在意義を見いだしてしまっている部分もあったように思う。高額ないらないものも押し切られて何度も買ってしまったり、明らかに他者に利用されたりなどという自己犠牲エピソードに溢れた人だった。
だけど、彼女はついに、自己肯定感が高まり、自分を大切にできるようになった結果、合わない相手に尽くすのをやめようと思えたのかもしれない。
そうだといいなと思う。
自分もまた、やめなきゃいけないと思いながらやめられない事で、モヤモヤとしてそんな自分が嫌だった、つまり自分を大事に出来ていなかった。
彼女にいつも、自己犠牲しすぎないで欲しい、嫌なことは嫌と言ってね、自分を大事にしてねと伝えてきたけど、自分もそういう傾向がかつてあったからこそわかる事だった。自分からは断ち切る勇気は持てなかった。
そういう負の部分が引き合ってしまっていたのかもと思う、依存的で不健康なこの関係を、お互いに卒業すべき時がきたのだなと。
彼女や彼女のお子さんやご家族がみんな今後とも幸せだといいなと願っている。今までありがとう、さよなら、元気でね。
追記/
後から知った事だが「メサイアコンプレックス」というものの内容に、彼女の言動はとても近かったように思う。