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琉球最大の破風墓&王陵の頂点 玉陵(玉御殿)~tamaudun~
沖縄の王陵といえば、まさにこれであろう。浦添ようどれ、佐敷ようどれと各王統の墓を訪ねてきたが、観光地で訪れるという点でポピュラーなだけでなく、紛れもなくその頂点であり必見のお墓である。
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玉陵は世界遺産に登録されており観光名所のひとつであることは言うまでもない。別名、玉御殿ともいう。tamaudunという聞き慣れないイントネーションが琉球語である証であり、本土では”天皇陵”に値するものと考えれば理解しやすい。首里城の西約300mの丘陵斜面の岩盤を掘り込んだ、いわゆる「掘込墓」である。外側(外観)が切妻破風の建物の形をしていることから破風墓と呼ばれている。丘陵斜面の自然洞窟を大きく掘り込んで石室をつくっている。
第二尚氏第3代尚真王によって弘治14(1501)年に造営、沖縄戦の直前1945年の実に444年もの間、使用された。
墓室は、切妻建物が東室(二層構造)+中室(一層構造)+西室(一層構造)と各棟が連なる。(連棟式)屋根は磚瓦(せんがわら)で板葺き屋根を表現する。墓室の表面は漆喰を塗り白色を呈する。墓室の前面には欄干が取り付く。墓口はアーチ式となっている。墓庭は、内庭に枝珊瑚の砂利、外庭は白色の海砂を敷いている。内庭は王族以外は立ち入り不可の聖域であったそうだ。
王陵は何と言っても墓室が面白い。上記写真(模型)を見ながら説明しよう。
東室は非常に変わった形をしている。前室と東・西奥室、そして両側に左右耳室(じしつ)が構築される複室構造をもつ。奥室手前上には三本の角柱が立てられ、上に梁が掛かる。これは天井が自然洞窟の岩盤なのでそれを支えるものであり、漆喰が塗られている。また各部屋には石扉を設けている。(このような形は中国の陵墓に類似する。)奥室の向かって右側には初代尚円王、尚真、尚清の厨子が配置されていることから、東室で最重要な位置であることが理解される。王・王妃の厨子(ずし)のみ安置されている。(厨子とは:洗骨した骨を納めるいわゆる蔵骨器で、本土では骨壺に当たるが、沖縄は頭骨はもちろん全身の骨入れるので格段に大きい。)また蔵骨器と言わず何故、厨子と呼んでいるのかよくわからない。骨を洗骨、洗い清めることで神となるといわれているそうだが、本来、厨子とは「仏像・仏舎利・経典・位牌等を納める箱」であり仏と関係が深い。神仏習合ということなのだろうか?いずれにしても厨子と呼ばれており、ここには37基安置されている。
中室は単室で、正面に琉球石灰岩の切石造りのヒンプン(浦添御殿の墓で写真掲載、屏風)があり天井を支えている。内部は棺を置いて風葬させる場所、いをゆる”シルヒラシ”が設置されている。中室は要するに、死者が入室する最初の場所なのだ。遺体は”シルヒラシ”で数年間「風葬」される訳である。後世に出現する亀甲墓のシルヒラシの初現ではないか?いずれにしてもシルヒラシという風葬場所が王族の墓室にあるということは、本土であれば古代の「殯(モガリ)所」であろう。天井は岩盤がむき出しで、漆喰も塗られていない。何故か被葬者不明な厨子が1基安置されている。これは何を意味しているのだろうか?
西室も単室で、王子・王女・王夫人等の厨子が32基安置されている。墓室内の壁は正面以外の3方向に段がつくられその上に厨子が安置される。
以上が、玉陵に関する概要であるが、墓室内に安置されている厨子は合計70基もある。それら厨子は時代によって形状・材質が変わるが、最古の厨子(石厨子)である尚円王の厨子は巨大かつ細かい細工がなされている。
玉陵を見学して、そこには言葉では表現できない王陵の重量感があった。そして静寂な中庭から3つの墓室を眺めて、琉球王族の伝統と格式を想像するとき、70名を越える尚氏王族の方々の喜怒哀楽の顔を思い浮かべた。それぞれの方が精一杯、王族として生きていたのだ!と…
枝珊瑚の砂利を踏む足音、見上げた時の突き抜ける青空、強く頬を叩く風、時空を越えて感じることのできる空間はここ(中庭)しか無いだろう。パワースポットという単純な言葉ではない、琉球王族最大の魂の住処である。一度でよい、玉陵の中庭に立ち、目を閉じて深呼吸する。過去を考えるのではない、感じてもらいたいのである。
*さらに詳しくは玉陵奉円館(ガイダンス施設)が併設されているので、じっくり見学されることをお勧めする。