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浦添御殿(urasoe-udun)の墓
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沖縄県浦添市にある、琉球王族(第二尚氏王統第14代尚穆(ショウボク)王の次男、浦添王子朝央を元祖とする御殿(王家分家)の墓である。18世紀末には完成。浦添王家(分家)歴代の格式高い墓である。
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浦添御殿の墓は、いわゆる沖縄独自の「亀甲墓」である。ここでは浦添御殿の墓を紹介する訳ではない。現在、埋もれた「亀甲墓」を掘っているのだが、その完成形がどのようなものであるかを見学に来たのだ。墓は南向きで背後は丘陵となり、丘陵をL字状に掘った後、平坦面を造成してその上に墓室や袖石、袖垣、墓庭、墓前には正に屏風のようなヒンプンを備えている。典型的な「亀甲墓」である。
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墓口からヒンブンを見る。屏風と言うには背が低く感じる。墓庭周囲の石垣(袖垣)入口からもこちらが見える。ヒンブンの機能とすれば、①外から見えないこと。②悪霊を遮断すること。等があるそうだが、①としての機能が果たされたとは思えない。むしろ南方向に残念ながら建物が見えている。
そこでハタと気付いた。この建物が無ければ南方向には何かあるのではないか!ということだ。地図から南方向に定規を当てる。そこには琉球王墓の最高峰というべき「玉陵(玉御殿)」があった!。
これは偶然の配置ではなさそうである。そこには目に見えない思想、すなわち「風水思想」を見た。