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亀甲墓で唯一の国指定史跡(伊是名殿内の墓)King of kamekou Tomb 

 これぞ亀甲墓の逸品!というべきものが、沖縄県那覇市銘苅にある。その名は「伊是名殿内の墓」だ。これを見ながら亀甲墓について記してゆこう。

亀甲墓 正面
構造と名称図
平面図

 まさに亀の甲羅を模した墓の形である。各部位に名称がある。カタカナで書かれているのは沖縄言葉であるので、例えば、屋根まわり⇒ヤジョーマーイと記している。名称が沖縄語の発音で記されているので、最初はとっつきにくいが、何度も言っている間に意味が理解できるようになる。上記、写真と各部位の名称を見ながら亀甲墓についての理解を深めるのも楽しい。

墓口と眉(左右に袖石の一部)
臼(ウーシー)と子臼(クァウーシー)
3段構えの袖石

入口から右へ折れる
入口から墓庭をみる
墓庭から正面(右側の空洞は祠)
屋根部分(内部は墓室)亀の甲に似ている


墓上(南東)から(北西)をみる(風水の立地か?)

 タイトルにもあるように、亀甲墓では我が国唯一の国指定史跡である。おそらく今後同様な亀甲墓が発見されても国の史跡に指定されることは難しいだろう。(その数が膨大なことも理由だが)この墓は沖縄県の離島、伊是名島と伊平屋島の上流士族である伊是名家の墓とのことである。周辺は、銘苅古墓群(めかるこぼぐん)のエリアであり、2004・2005年に発掘調査がなされ、その結果、2007年に一括して国指定史跡となった。長い文章を述べるよりも写真の解説が理解しやすいため、多く写真を掲載した。この亀甲墓の築造年代は18世紀とされる。亀甲墓のモデルケースとでも言うべきもので、石の切り方(相方積み)をみても実に精巧に構築されている。伊是名家の格式高さが伺える。
 亀甲墓の発生は未だ定説をみないが、中国福建省や台湾にルーツがあるとの有力な説がある。また解説板には「風水の思想を基につくられている」とある。残念ながら周辺の開発で地形は全くわからない。本土では古墳時代終末期(7世紀~8世紀初頭)には風水の立地で古墳がつくられている。背後に山を背負い、左右には鳥が羽を広げるような丘陵が突き出ている。正面は谷や川が流れ、小高い丘がそびえる。ような場所である。しかも墓口の開口する方向は全て南だ。このお墓は確かに三方の地形を削り出して墓の場所を確保しているが、開口する方向が北というのはどういうことなのだろうか?
もし風水の思想が厳格に守られているのであれば、墓の向きは非常に重要だった筈である。意外と形だけをまねた”風水もどき”であったのかも知れない。たとえそのような状況であっても「伊是名殿内の墓」は亀甲墓では最大の規模を有するものであり、各パーツが完備されているものなので、何ら価値が落ちるものではなく、亀甲墓をひとつ紹介するにはどのお墓がよいか?という問いに、即断してこのお墓をお勧めする。まさにKing of Kamekou Tomb なのである。



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