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真の天皇陵が見学できる!①~岩屋山古墳と牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)

  2025年の年明け早々の一日、天皇陵に治定(指定)されていない、二つの(実際は三つ)古墳を見学した。現在ある天皇陵はご存知の通り禁足地である。しかしこれらの古墳は、いつからか盗掘され荒れ果てた状態が続いたことから天皇陵の候補から除外されることになってしまった。いわゆる盗掘墳なので、皇族(天皇)のお墓として相応しくないと考えられたのだろうか。何れにしても現在も、その実態が見学できることは幸運であろう。今回はそのひとつ岩屋山古墳をご紹介する。

近鉄吉野線飛鳥駅正面出口を左に折れる

小山(墳丘)が見える
岩屋山古墳の標柱

 飛鳥駅の改札口を左へ歩く。ほとんどの方は正面のレンターサイクルやバスターミナル方面に向かう。しかしここでは違う。近鉄電車の踏切を越え歩くこと約5分、右手に上記写真のような階段が現れる。岩屋山古墳である。飛鳥の遺跡を通じて、なぜこの古墳が世界遺産登録から漏れてしまったのか不思議でならないのである…。その理由は?”百聞は一見に如かず”見学していただく他ない。

古墳の横穴式石室開口部(南から)
上写真、1石目の天井石(半円形の段が観察できる)

 この古墳、学術名で「岩屋山古墳式石室」と呼ばれている。全国の古墳でもマニアには著名なのだが、(一般的に余り取り上げられないのは何故なのか?)一先ず、石室の構造を見てみよう。上記写真は開口部から入る最初の天井石であるが、表面が剝き出しになっており、半円形状に加工されていることがわかる。これは一体何を意味するものなのか!

同じ天井石(裏にある溝① 東から)
同じ天井石(裏にある溝② 西から)
天井部に掘り込まれた溝(幅約6㎝)

 通常、このような溝は、石室に板を嵌めこむためのものと考えられやすい。しかし当古墳は違う、結論を言うと雨水が流れる樋なのだ。つまり雨が降ると当然だが墳丘上部から雨が流れ落ちる。雨は天井石の半円形溝を伝って外に流れる。また石室内の溝は左右で分けられた雨水以外、すなわち正面から流れ落ちた雨水をその溝によって下方に落とす機能をもつのである。雨が石室内に入るのを防ぐための装置なのだ。

石室の入り口(南から)
羨道部石材①(正面から見て左側)
羨道部石材②(正面から見て右側)

 横穴式石室の入口から墓室(玄室)までの道を羨道(せんどう)と呼ぶがその部分の左右は3石(さらに前方に4石ある)で並べられている。石材の表面は平滑に加工されていて、実際てを触れるとツルツルだ。勿論、天井の石も平滑に磨かれている。当時の最高技術をもった石工集団であったことは想像に難くない。

玄室①奥壁(2段積み、南から)
玄室②左側(下段3石×上段2石)
玄室③右側(下段3石×上段2石)
玄室⓸(天井石、石材に黒い斑点?が見える、飛鳥石の特徴を示す。)

 上記写真をご覧になっていただくとその異常(素晴らし)さが理解される。石室の細かな数値の説明は述べない。玄室(げんしつ・墓室)は表目を加工した大型の石材を組み合わせている。左右側壁は二段積みで下段3石×上段2石、また下段3石と上段2石で縦方向の目地が通らないような構造となっている。(伍の目積みという)の奥壁は二段積みで1石、天井石は1石、前壁(奥壁に対置する部分)1石で構成されている。これだけのものが、職人が現場合わせで造れる道理がない。つまり設計図があり尺度が決まっていたとしが考えられない。現在の説として「高麗尺(こまじゃく)」1尺=35.55㎝が使用されているという。当古墳に当てはめると、
①石室全長:17.76m÷35.5㎝≒50尺
②玄室長:4.86m÷35.5㎝≒14尺
③玄室幅:2.4m÷35.5㎝≒7尺となる。全く同形同大の石室は、奈良県桜井市にあるムネサカ1号墳という例があるがここでは詳述しない。また上記写真のように石材は白色であるが所々黒色で斑点状の模様が見える。これは飛鳥地域で産する角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)で、この地域では「飛鳥石」と呼ばれているそうだ。

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