Netflixで見えるもの
クィア・アイに、のめり込んでいる。
それはもちろん番組自体の面白さや深い愛情、救われていく誰かを見る幸せもあるのだけれど。
私は、世界の「闇」に戦慄している。
以前、人種差別やLGBTQへの迫害について調べてみたことがある。
確かにインターネットには沢山の情報があり、それはとても興味深い内容だった。
Fワードと呼ばれる禁句、黒人やアジア人への偏見、調べたいことは大抵そこにあった。
けど。
クィア・アイを見ていると、恐ろしく身近に「それ」はあった。
ゲイのカップルに「どちらが夫で、どちらが妻か」という確認。
「黒人」だというだけで、殺されるかもしれないという日常。
日々通う教会で忌み嫌われる「ゲイ」という存在。
ギャングが銃を持ち、些細なきっかけで誰かを殺めてしまう必然。
ファブ5自身が語ることもあるけど、圧倒的にその「日常」が差別や迫害、暴力に満ちているのだ。
それは日本でも同じで、「女を捨てる」だったり「いじめを親に言えない」だったり、たくさんのどす黒い光景が見え隠れしていた。
もちろん、日本には種族問題や銃問題はあまり馴染みがない。
深刻さで言っても、たぶんアメリカの比ではないと思う。
けど、それは日本にも確実に存在しているし、決して他人事ではない。
どれだけ調べても、このふとした感覚には勝てない。
現実味がありすぎて、恐怖を覚えることすらある。
けど、テレビ越しであったとしても、きっとこれは知っておくべき事なのだ。
今の世の中を生きていくには「それ」と戦い続けるしかない。
けど、その時に「仲間の存在」だったり「寄り添ってくれる誰か」がいれば、きっと格段に戦いやすくなる。
何よりも、自分自身が自分自身を「好き」でいることは、唯一無二の強い武器になる。
世界中が抱えている辛さを、こんな形でNetflixに教えてもらえるとは思いもよらなかった。
そこには国境も距離もない。
ただ目の前のテレビに、その世界が拡がるのだ。
もっと色々見てみたい、そう思う。
私の知らない世界は、Netflixの中にあるのかも知れないから。