推測の向こう側
元ネタを拡散させたくはないので、説明だけしてみます。
源さんの新番組「星野源のおんがくこうろん」にまつわる、男性優位の推測を見ました。
結論から言うと、その推測は誤りでした。
源さんはその後、ANNではっきりとその経緯を説明しています。
当初の予定では片方が女性であったこと、直前の体調不良があって急遽(次回出演予定だった)男性にお願いしたことを名言されています。
更に言うなら、当初の人選は「なるほど」と言いたくなるような、完璧な布陣でもありました。
推測をツリーごと拝見しましたが、たぶん悪意は無かったのではと感じました。
ただ、男性優位が見えたことが残念だったという文面に見えました。
源さんが常日頃からジェンダーやセクシャリティに言及していることも書かれていましたから。
ただ、その冒頭の発言だけを見ると、とても「批判」の色が濃く映りました。
源さんがANNで発言した(放送された)のは、その推測が書かれた後のことです。
推測を書かれた段階では、当事者以外は誰も源さんの意図を汲めなかったと思います。
私のように源さんの言動を四六時中崇め奉る人間なら「んな訳ねぇよ」と否定できます。
ただ、世の中はそれほど傾倒している人ばかりではありません。
だから、推測そのものを「悪」だとは、私は思いません。
けどね。
この情報社会、ひとつの発言がとんでもない誤解を招くことが多々あるんです。
正しいか間違っているかなんて関係ない、バズればそれが「正義」にだってなりかねないんです。
誤解のまま拡散された情報は、いとも簡単に誰かをめった刺しにします。
傷つけられた人は、ともすれば一族郎党ネットに晒されて、ネットリンチに遭うことだってあるのです。
傷つけられるのは、もちろん誤解された人。
それだけではなく、書き手すらも餌食になる可能性を抱えているのです。
正義も、時に人を傷つける。
悪意も、時に善意が潜んでる。
誤った情報は、極力流さない。
感情の赴くままに、誰かに悪意をぶつけない。
正義であったとしても、ネットの向こうにいる「誰か」に敬意を払う。
それは書く側や発言する側だけでなく、読む側としても心がけていきたい。
世知辛い世の中ですもの、せめて電脳空間でくらいはヌクモリティに溢れていたい。
どうか、そんな世の中であって欲しい。
そう願うばかりです。
星野源 NHK Eテレ『星野源のおんがくこうろん』を語る https://t.co/GWvDc0LR8l
— みやーんZZ (@miyearnzz) February 2, 2022
(星野源)本当はもともとJ・ディラの回は前にラジオにゲストで出させていただいたりとか、普段ヒップホップ関連の情報をちょっと教えてもらったりとかしている渡辺志保さんという方に解説員をお願いしていて。